ふとした瞬間に 視線がぶつかる
幸福(しあわせ)のときめき 覚えているでしょ
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように 輝いてる あなたでいてね
幸福(しあわせ)のときめき 覚えているでしょ
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように 輝いてる あなたでいてね
負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を
(詩;坂井 泉水)
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を
(詩;坂井 泉水)
19歳のあの頃
その頃は、人生で一番のピンチだったのだろう。
毎日毎日バッシングで、つぶれようとしていた。
つぶれなかったのは、夢とかはかない希望のような
ものがあったからだろうか...。
別に刑事罰を問われるようなことはしていないが、そうでなくても、世間一般の道徳心には外れていたのだろう。
あの頃は、社会全体が厳しくて、社会に出ていた先輩方が、そういう私の危うさを徹底的に仕込もうとしていたのは感じていた。打たれ強いと思われては、バッシングの繰り返し。世の中は、三菱重工への企業爆破事件(「狼グループ」の犯行で、彼らは天皇の「お召し列車爆破計画」を立てていたが実行できず、対象を日本の大企業に変えた。その後一部が日本赤軍に合流している)とか過激派がまだまだ全盛時代だったし、間違いは許されないという厳しい雰囲気が当時の日本社会にあった。
大学に入っても、電車では椅子に座らなかった、一度も。10年は自分にある種の行動の制約をかけていた。ボランティア的なこともした。二十歳になって、毎日新聞の社説を切り抜き、ぼろぼろになるまで読んでいた。私へのアドバイスのように感じたからだった。「世の中はgive and takeで成り立っている。何によって社会に貢献するかは、それぞれ自分の特性や特技などによって..決められるだろう。....今年(1974年)は総選挙が実施される。保革逆転の可能性があるとも言われている。しかし(佐藤幸治憲法学者の言葉を引用し)政治を侮蔑する者は、侮蔑するに値する政治しか持てぬ、と言うことをお互いに肝に銘じるべきであろう....」など、含蓄のある言葉が綴られていた。
夕べNHKBSプライムの番組でZARDの秘蔵動画とか、ヒット曲にするまでの過程を追っていた。私もひところ、車でZARDとかREBECCAとかよく聴いていた。
ときどきの歌で励まされてきたし、坂井泉水のように自分で詩を書いて慰めてもいた。
絵は、そのころ描いたものだけど、絵の裏に別の肖像画が描かれていたのに気づいた。覚えがあったが、今では誰とも判らず、額縁の中で封印されていたのだろう。テレビでは、坂井泉水のイタリアでの自由にはしゃいでいる姿を映し出していたけれど、彼女を見ていたら、つい昔のこととかを思い出してしまった。彼女だってもっといっぱいしたいことがあったはずだ。
それにしても、私を打ちのめしたあの社会の先輩だって、坂井泉水がもういないように、ずっと上空から高みの見物してるのかも知れないよね。「打たれ強い筈じゃなかったのかね君は....それで、自分で貢献している積りになっているの?もしかして」
(2019年4月21日 絵は、19歳の時のもの)毎日毎日バッシングで、つぶれようとしていた。
つぶれなかったのは、夢とかはかない希望のような
ものがあったからだろうか...。
別に刑事罰を問われるようなことはしていないが、そうでなくても、世間一般の道徳心には外れていたのだろう。
あの頃は、社会全体が厳しくて、社会に出ていた先輩方が、そういう私の危うさを徹底的に仕込もうとしていたのは感じていた。打たれ強いと思われては、バッシングの繰り返し。世の中は、三菱重工への企業爆破事件(「狼グループ」の犯行で、彼らは天皇の「お召し列車爆破計画」を立てていたが実行できず、対象を日本の大企業に変えた。その後一部が日本赤軍に合流している)とか過激派がまだまだ全盛時代だったし、間違いは許されないという厳しい雰囲気が当時の日本社会にあった。
大学に入っても、電車では椅子に座らなかった、一度も。10年は自分にある種の行動の制約をかけていた。ボランティア的なこともした。二十歳になって、毎日新聞の社説を切り抜き、ぼろぼろになるまで読んでいた。私へのアドバイスのように感じたからだった。「世の中はgive and takeで成り立っている。何によって社会に貢献するかは、それぞれ自分の特性や特技などによって..決められるだろう。....今年(1974年)は総選挙が実施される。保革逆転の可能性があるとも言われている。しかし(佐藤幸治憲法学者の言葉を引用し)政治を侮蔑する者は、侮蔑するに値する政治しか持てぬ、と言うことをお互いに肝に銘じるべきであろう....」など、含蓄のある言葉が綴られていた。
夕べNHKBSプライムの番組でZARDの秘蔵動画とか、ヒット曲にするまでの過程を追っていた。私もひところ、車でZARDとかREBECCAとかよく聴いていた。
ときどきの歌で励まされてきたし、坂井泉水のように自分で詩を書いて慰めてもいた。
絵は、そのころ描いたものだけど、絵の裏に別の肖像画が描かれていたのに気づいた。覚えがあったが、今では誰とも判らず、額縁の中で封印されていたのだろう。テレビでは、坂井泉水のイタリアでの自由にはしゃいでいる姿を映し出していたけれど、彼女を見ていたら、つい昔のこととかを思い出してしまった。彼女だってもっといっぱいしたいことがあったはずだ。
それにしても、私を打ちのめしたあの社会の先輩だって、坂井泉水がもういないように、ずっと上空から高みの見物してるのかも知れないよね。「打たれ強い筈じゃなかったのかね君は....それで、自分で貢献している積りになっているの?もしかして」
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