2021年12月29日水曜日

心の叫びが聞こえる

心の叫びが聞こえる もう随分前から

それは 自分のものなのか 果たしてお前からのものなのか

よく分からないけれど ちゃんと届いている

その区別もおかしいくらい お前とおれの叫びの質は

同じような気がしている 数ヶ月も経てば

それははっきりと形となって 現れるかも知れない お前が長い間

心の中で叫び続けていたものと おれが同じように

心の中で叫び続けていたものは 同じだからと 思う

お前がもし 今周りの人に影響を受けたり 影響したりして

迷いや悩みを昇華できないでいるのなら こう考えて欲しい

おれたちが生まれるずっと前から それは決まっていたことなんだと

Jesse Gallagher"Load of the dawn"

この世で人は 何がしかの選択をしながら 生きている

それでも自分が 日常の瑣末なことに かき乱されて 

自分を失ってしまったりしていることがある よく落ち着いて考えてみたら

ちっぽけな自分の存在を苦笑してしまうくらい 大きな存在がいて 

自分を包み込みつつ導いているということが分かる 

自分が選んでいると思い込んでいたものが

実は自分が選んだ訳じゃなくて そうしないではいられない現実があったから

そうしたんだ また動かしているものは 必ずしも自分という存在ではないということも 

お前はもうすぐ気付くはずだ 

ひょっとしてそれは必然なのか 偶然なのか 

分からないまま 時は流れていても 変わらないものがあるとしたら

お前の存在をお前たらしめているもの 守り神とでも言ったらいい存在だ

そういう存在がいることに おれはごく最近になって気付いた

単にPCとすれ違ったり 何か特別な気付き 例えば予期しない時に虹が出たり

それこそ日常の ほんの些細なことで感じられるものが

実は自分がまだ気づかないでいることがあったりするんだ


お前はもうこの世に生まれた意味や理由を ある程度理解しているのかも知れない

もうすぐ今年も終わる あと数日で

きっといいことがこの先あるんだと祈りつつ 自分の今年を終えようと思っている

2021.12.29 



           2004年12月24日初めて行ったUSJ ホテル京阪(昼食のみ利用)にて


2021年12月18日土曜日

こうして2021年が過ぎてゆく

    今年もいろんな事あったなぁ。チェンマイで買ったお気に入りの財布(クレジットカード、現金等入り)を有名な外資系ハンバーガーショップの中で失くしたことがあった。連絡したら、そのことを店員が親切に教えてくれた。「ちゃんとお客さまの財布預かって金庫に入れてありましたけど、お客様が直ぐに来なかったので店長が昨日警察に届け出ました」実際言われた通り直ぐに行けなかったことを反省もした。この財布実は管轄署には届いていなかった。きっと店長がネコババしたものと思われたがどうしようもない。「いやあ、車内のゴミと一緒になって気づかずに捨ててしまいました」。腑に落ちない、と思ったが後の祭りとはこのことを言うのだろう。何度も店長に言った、誤ってそうしたと思うんですが、もう一度探したらひょっとして出てくるかもしれないので。そんな期待も無駄だった。仕方なく上司と示談交渉の上決着したが、腑に落ちなさは消えなかった。欲しいのはお金よりその財布だったから。あと僅かとなった今年も師走に入り、オミクロン株が徐々に日本でも広がる様相を見せているし、北新地のビル火災が放火殺人に発展して死者多数という、またしても京アニ事件の再来を思わせる事件が大阪で発生もした。

 たとえ色んなことがあっても、お前だけは何時までも笑顔の似合うお前でいて欲しい。もう随分前のことになるけど、2004年11月30日にリリースされたBoAの「メリクリ」は今聴いてもグッとくるものがある。

BoA「メリクリ」

 それは当時と被っているからかも知れない。あの時はお前とクリスマス・イブにUSJにも行ったし、サンタさんが壁にいる「チャペル」にも行ったっけな。(追記;そのチャペル実は2日ほどお預けになっていたようだった)翌年になって寒い日でもいつも行動を共にした。お前が7月15日に生まれてくれたこともいつも感謝している。



 12月には例年自分の10大ニュースを締めくくりとしてノートに書くことにしている。今年は多分10に収まらない気がする。コーネル大学が開発したというノートに日記やら、アイデアや思いつき、執筆の構想をその都度書いてきて、一年間で何冊にもなってしまっている。詩も描かなくてはなって思うし、一つのひらめきがiPadを通して形にもなっている。そんな繰り返しで毎日が過ぎていく。お前の影響で断捨離(そんな言葉当時知らなかった)というか、色んな意味での片付けが出来るようになったのは成長だと自分でも思う。整理するのが下手な自分が結構部屋を片付けることが出来るようになっているのが不思議。
 夢中で見た東京オリンピックも束の間だったし、去年ずっと通しで見ていた大河ドラマも来年はまた見てしまうことになるだろう。
 お前がそばにいれば、なんて贅沢は口には出来ない。出来ないけど、心にずっと思っている。乾燥した唇にリップをつけていたお前を思い出してしまうし、左側をいつも歩いていたし、身につけていたものは石鹸のいい匂いをさせていた。
 でもさ捨てられないものも世の中にはあるんやからね。だから寒いけど、ドアはずっと開けておかなくちゃね….。いつでも「ただいま」ってニコッとしてさ、お前が不意に現れるかもしれないもん。



2021年11月14日日曜日

Jupiter

  昔カラオケか何かで二人で歌ったのが平原綾香の「ジュピター」だった。amazon.musicで車の中で久しぶりに聴いてみた。当時ケータイの着うたが流行っていてこの歌を選んでいたっけ。

♪every day I listen to my heart ひとりじゃない

 深い胸の奥でつながってる

 果てしない時を超えて輝く星が

    出会えた奇跡教えてくれる…..

作詞は、吉元由美という人。ずっと昔の歌という印象なんだけど、今聴いても魂に訴えかけてくるから不思議。

♪夢を失うよりも悲しいことは 自分を信じてあげられないこと

 この歌詞のところを聴くと、札幌の女子中学生がいじめられた挙句先生に気持ちを訴えながらも自死を選んでしまった(「死ぬから画像を消して下さい」と訴えながら2月の北海道の寒い公園で凍死した)という事案を思い出してしまう。女の子の母親は、学校も教育委員会も、人間そのものも信じられなくなってしまったろう。そして

何よりいじめていたはずの「友達」は何を思っているんだろうか?

 いじめやパワハラは時代が変わっても、どんな組織にいても決して無くならない。それは人間がこの世に生まれて生活しはじめ、社会という枠組みの中で成長していく中で生まれる根源的なものだからだ。

 人は生まれも育つ家庭環境も違う。人種(color)も違う。容姿も(男女ということですら選べない)選ぶ服装や言葉遣い、癖や性格、趣味や志向も違う。違っているから天才や秀才が生まれるしノーベル賞だってもらえる日本人も出てくるし、大リーガーの選手にもなれるのだろう。ラッキーな人もいるには違いないが、いじめられる素質というか要素は誰だって持っているのだと思う。ひょっとして私も加害者になる素質も持っているかも知れない。私も中学生時代には陰湿的ではなかったが、いじめられる要素があったのか、確かにいじめられたりはした、一時的にせよ。ただすぐに助っ人が現れて、私をいじめている者を投げ飛ばしていたりしたから幸運だったのだろう。今日注目の中若い日本人のカップルが日本を飛び立ったが、ニューヨークでは今まさにコロナ禍でアジア人に対する差別的な犯罪(暴行や強盗事件)が横行している。私は大学の時に柔道を習って初段を取った。それは、自分に対するより、万が一にもそばにいる女性が犯罪に巻き込まれたら命がけで守らなければならないとの単に若気の正義感からだった。実際に現役の頃は、女性の部下がいた時には自分とその部下を守ることが絶対に必要だった。

 若い頃にはバッシングを受けて強くなったと思うし(それが必要だったかは別にして)、少々のことでツマハジキされても耐えられる自信がある。

 先程の札幌の事例で言うなら、もしも彼女の周りに、いじめを受けているのを知っていたり見ていた人がいたなら、自分のことは度外視して寄り添って「大丈夫だから」と声をかけて欲しかったと思う。そして加害者のいじめている者に対しても、骨身に染みるように諭す人がいて欲しかったと思う。中々そんなにうまいタイミングでそんな人は都合よく現れないものだ。

 それはおそらくそうだろうけど、電通のまつりさんにしても、「勇気を出して」いじめやパワハラを受けている人に寄り添ってくれる人が一人でもいれば何も死ななくてもよかったんじゃないのだろうかと思う。ま、そんな理想論は、と片付けられてしまうのが現代の特徴だけれどね。そりゃ、交差点を曲がるにも30メートル(または3秒)手前で指示器を点けることすらも忘れている人が大半なんだから...。「みんなやってんじゃん」


 切り抜きの記事は、「NHKクローズアップ現代」より 母親の沈痛な心の叫びが感じとれる

教育長辞任(2022.9.23)


♪私たちは誰も ひとりじゃない

  ありのままでずっと 愛されてる


Ayaka Hirahara Jupiter

2021年11月9日火曜日

そして思い出の大台ヶ原へ

 11月6日の土曜日、バイクで大台ヶ原へ向かった。桜井のファミマでジムニーのお父さんに声かけられた。川上の杉の湯ホテルのPでも河内長野の人(病気して一度ハーレーを処分して、リハビリ後今は回復して、再びバイク熱がもたげて、現在大型バイクを物色中で、今日は白の150ccのバイクで「きなりの湯」を目指しているという)と浜松から来た人は串本経由で、次は宇陀の町を目指しているらしい。写っている白の原付の三倍はあるし、荷物満載のバイクで、とても支えきれません!それにしても何とローカルなツーリングなこと!

 休憩してから、山道をひたすら走る。ドライブウェイの途中に、峠の茶屋みたく木造りの休憩所があって、何人か先着がいた。そこから下の方に降りれるようになっているのを発見した。紅葉はもうはじまっている。当時は12月に入ってから思い立って来たので既に閉山していたっけ。パトカーまで見回りに来るというオマケまで付いた….。

 今回は以前林の中にあったピックアップトラックが今も「生存」しているかを見たかった。バイクを止めてから結構林の中を奥へ進んで、やっと見つけた時にはホッとした。ちゃんと生存してくれていて、良かった。荷台には、土もあってか植物も自生していた。その辺でお握り2個で何とかお腹を満たした。



 大台ヶ原の駐車場は満車で、駐車場の入り口から路肩を車がずらっと続いて駐まっていた。バイクも多かったけど、その中に無事とめることが出来た。昔サロンと呼んでいた売店の前の椅子でお湯を沸かし、カップラーメン食べて、珈琲豆挽いて、コッヘルの湯を淹れて飲んだ。本当は歩いて沢まで行ってそれをする予定だったけど、帰りの時間を考えて変更した。大学の時の夏山のバイトをふた夏ここで過ごして、ずっと流れ星を追ったり、みんなで御来光を拝みに日ノ出ヶ岳に登ったりしたっけ。今度はやっぱり二人で来たいと思いながら駐車場を後にした。


久しぶりの當麻寺

    何年ぶりだろう?11月2日に當麻寺をおとづれた。バイパスが通っている分だけ近くなっていた。南の方から進むと、竹内街道。當麻寺交差点。交番。その前と向かいにパトカーが1台ずつ止まっていた。以前は交番の向かいには割と大きな駐車場があってそこに自分の大きなクルマを駐めたっけなぁ….。そして東に進むと駅前の中将姫餅のお店がある。

 少し薄曇りの中で山門に近いところに前と同じように車を納める。御朱印帳を預けて庭園や奥の院、そしてその後ろの池の辺りを巡る。そうしたら、少しずつ思い出す、あの頃のことを。奥の院の前の石畳で何枚か写真撮ったんやっけ。当時と変わらない風景。



お守りを二つ買う。これは誰かへの土産にしよう、今度会ったら渡そうと思う。もう一つは、バイクで通勤しているためのリングになったお守り。中将姫や役行者、法然上人のこととか歴史はちょっとパスして、17年前にタイムスリップして想いを描いた。

2021年8月20日金曜日

彼女はキレイだった…

 二人は幼馴染で、いつしか大人になって恋をする年齢になっていた。ジグソーパズルを嵌めようという設定はなかったけれど、お互いがお互いの存在を知らず知らずの間に認め合い、求め合っていたんだ。ちょっとしたボタンのかけ違いが、ずれや波乱を呼んだりもするけれど、それも長い人生には誰にもあったりするものなんだ。だから気にしないでもいいよ。もちろん一度嘘をつくと、その嘘に上塗りを重ねていかなくちゃならないから面倒なんだけどね。え?あのドラマのことかって?




あっいや、確かにそのドラマ(主題曲)はとても気にはなってる。時に涙が出てしまうほど…。雨の中で宗介が走って佐藤愛のところに駆けつけ傘を捨てて濡れながら抱きしめるシーンなんかに。私が今回見つけたのは、こんな小説だった。7作目で宗介が愛に「全然分かってないなぁ!」と16年の歳月を振り返りつつ身体中で抗議するように言う。その16年は私も同じだと、刻んだ年数を振り返った。


2021年8月12日木曜日

様々なoption( 選択肢)

    昔、落合信彦氏がこのoptionという言葉をよく使っていたと思う。私もその言葉が好きだ。人は生きていく上で、様々な「選択肢」を持ち、悩みながらも自分が選んだ道を突き進んでいくものだ。

 東京オリンピック2020で、自転車トラック競技、女子「オムニアム」で銀メダルに輝いた 梶原悠未選手 について少し触れておきたい。小学生の時に金メダリスト北島康介のオリンピックでの活躍を見て自分も五輪で戦える選手になりたいと競泳の道を志し、中学生までには全国大会に出場するほどの選手になっていたが、当時関東大会で全国出場を果たせず一度挫折した苦い経験があった。

 高校で母親から勧められたのがきっかけで、自転車での競技を選んだ。以後、想像を超える彼女の「所属しない」ひとりぼっちの戦い(母親がコーチになりフォローしているから実質的には二人三脚)が本格的に始まったのだった。

※私が五輪ではプロを排除したアマチュアの選手が選ばれるべきであると「Quora」という知る人ぞ知るnetの質問コーナーで強調したのには意味がある。和歌山県岩出市の高校生、四十住さくらがスケボーのハーフパイプで金メダルを獲ったのも、地元の人達が金銭面や施設面でバックアップしてきたからに他ならない。(オリンピック種目によりプロアマが混在するのはどう考えてもおかしい。実際にボクシングやバスケではプロは出ないはずだ)。

 梶原は筑波大学大学院では統計学を学び、競技者のデータを集めて自分の「最適な走り」が出来るように活かしている。だから彼女は落車しても総合ではメダルを獲得出来たのだろう。今後はいよいよ3年後のパリに向けて金メダルを目標にしたトレーニングを行う(もう行っているかも知れない)はずだ。

彼女の右足は転倒した時にスーツが破れて怪我をして痛々しいが、それでも直ぐに立て直して突き進んで行った強さを誰も忘れないだろう。(写真は、静岡新聞 8月9日付のもの)

 もう一人、私がなけなしのサポートをした人物が大阪にいる。PCプログラミング技術はあるのに、それを活かすだけの環境がないからだ。誰も救いの手を差し伸べようとする者もいない。私の息子より少し年長の三十を少し超えた年齢であるが、年齢分のすごい資格を持っている。それにも関わらず、病気が災いしてか彼が挑戦したNTTコミュニケーションズやそういった名だたる企業からは受け入れてもらえず、何度も挫折を経験しても生活保護だけは止めようと、今独立して自らミシンを手にして子供服や女性用の服を自ら拵えてネットで販売をはじめた。

 夢を追うことは容易しい。しかし世間に受け入れてもらうことや、他人に認めてもらうのはハードルが高い。というのは、世間でいう尺度というものは一定ではないからだ。本人がやる気を持っていても理解されなかったり、世間の認識との間にずれが生じている。それでも昨日ちっとも評価されなかった物事が、今日はある拍子に人の感動を呼ぶことだって有り得る。時代は少しずつ変化している。去年の1月までは人々はマスクもせずに、ただ普通に過ごし、陽気に公園を散歩したり、ゆったりと通勤していた。暗くなれば居酒屋やカラオケに行き思う存分発散したり、はしゃぎ回っていたことも今は非難の的になってしまう。爆買いと称して日本を観光に訪れた人達は何時の間にかどこかに去ってしまった。ただそうであっても、自らを信じて、自分の実力を分析して、前を向いて戦っている人がいることも私たちは知っている。
 様々な選択肢が人には存在する。アスリートならば、ある瞬間からガラッと今までのスタイルを変えてしまうこともあるだろう。卓球選手だった平野早矢香や野球選手だったイチローもそうだった。大谷翔平だってスランプはあったし、イチローに教えを乞い自ら改造した。一度転倒しても、また這い上がって、怪我をもろともせず人は前進していくのだ。前を向いていれば、祝福してくれる人が必ずいる。一つの事をあきらめると言うのじゃなくて、別のことに自分の適するものが変わったとしても、自分自身にしか出来ないことをぎりぎりまで突き止めるということが大切だと思う。その先にはもう光明は見えているから。



2021年7月18日日曜日

新しいもの好きのケンちゃんは

 部屋のDIYには結構お金かけていた。それを一昨年くらいから初めて少しずつ改造している。すなわち、新しいベッドと、ベッドの下に真空管アンプとオーディオを置き、ゆったりしたチェアで寛ぎながら聴く。そこにONKYO製レコードプレイヤーが加わる。

 その横には、昇降式のデスク、改造PCとアーム付きの4Kモニターを載せる、オーディオ(音響=ONKYO)として持っていたアンプを繋ぎ、サウンド用ヘッドフォン、マウスとキーボード。付随してiPad、オーディオ達を載せる移動式棚をDIYして….足りないものはデスク用チェアくらいのものか。毎日のようにamazonから宅配依頼されたクロネコたちがやって来る。最近では何も言わずに黙って玄関に置いていくネコもいる。

 しかし、ここにきて、歯止めが掛からなくなったというか、制止してくれる人がいないからなのか、遂にバイクに手を出してしまったのだ!というのも長年親しんだとはいうもののヤマハのグランド・マジェスティ250がそろそろ引退表明すべき時期に来ていたというのと、同じヤマハのSR400が生産を今年で打ち切るからfinal editionを打ち出したことと重なってしまったからなのだ。いや、それは単なる言い訳にしか聞こえないかも知れない。もしも、そばにお前がいたら、もちろん、すんなり諦めるか、それはもう待つという選択をしたと思うよ。そらそうやろ..絶体にそうや。

 近畿地方は梅雨は明けたというものの、鮎釣りに出かける元気がいまひとつない。これはきっと最近熱で一週間ほど寝込んだことと関係すると思う。その割には新しいこいつを少しずつ遠出して連れてってやりたくなる。ちょうどお前がそばにいたらきっとそうするように。大台ヶ原とかさ、當麻寺とかさ…..


     逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり 
                                                                                                                権中納言敦忠


2021年6月24日木曜日

誰と共有できるのだろうか、この思いは

     2019年4月に発生した被害者が多数の痛ましい交通事故を知らないものはいない。半年後被害者の夫である松永さんが募る思いを語ったが、もう片時も忘れることができない肉親を失って日に日に募るのは「虚しさ」とか「絶望」とかいうことだったろう。

池袋暴走事故関連の記事

 「七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する」。「危険運転致死傷罪」の最高15年以下の半分程度の罰則でしかない。通り魔事件のような殺人鬼が次々街中で人を襲えば全く違った裁判になるはずである。上級国民と揶揄された男が起訴されたのは、自動車運転処罰法違反の中の「過失致死傷」である。当時高齢者による事故や暴走事故、煽り運転が注目されたが、高速道路上で煽り運転した男が乗用車を停止させ四人家族の父母の命を奪った事故を記憶している人も多いだろう。起こした人間を罰するにはとても信じられないほど罪が軽いと誰しも思ったとしても、罰則ではいちばん重い危険運転致死傷罪が認められ一審で懲役18年の判決が出ている。しかし結審は未だしていない。




 被告人の男には共有すら出来ないというのなら、どうすれば残りの人生を歩んでいけばいいのだろうか。池袋暴走事件と敢えて言いたいのは、単なる交通事故で片付けるにはあまりに悲惨な事故であり、事故の当事者であっても自分のこととして受け止めていないからに他ならない。もし被告人が反論するとして、「昔であれば死をもって償う」に値する程の出来事であるのを、法廷では無罪を主張しているのを被害者一人一人に分かり易く説明してもらいたい。法廷で「右足でブレーキペダルを踏んでいるにも関わらずスピードが出て」と説明したくだりは、歩行困難な程の障害があり、咄嗟の判断による制御ができない状態だったと思われる。今回松永さんは6月21日の東京地裁で飯塚幸三被告(90)に、妻真菜さん(31)同莉子ちゃん(3)のことをあらためて問うた。「妻と娘の名前を言えますか?」

「ドライブレコーダーの映像では衝突する前、莉子はあなたの方を見ている。どんな気持ちだったと思いますか」

「無罪を主張していますが」

被告人にも弁護士が付いているし、裁判ではある種法廷闘争の面があるだろうが、被害者の心情というものはそういう自己を利するばかりのやり方では推し量ることは出来ない。

 この日トヨタ自動車は異例のコメントを発表している。プリウスが暴走し多くの死傷者を出したからだ。「車両に異常や技術的な問題は認められなかった」。

 私は、松永さんの抱いた感情なり、思いを自分のこととして捉えることは出来ない。彼が味わった苦痛は想像を絶することであって、死をも覚悟したと伝えられているから、自分の生き甲斐である肉親を奪われた以上生き続けることは出来るか自問自答したはずだし、答えは死しかなかったはずであるから。それでも公判が続く以上堪えて傍聴するなり、記者会見をするなりして関わってきたのは、もう涙も枯れ果てて尚もどこかで自分が裁判を放棄することは出来ないとの思いからなんだろうと推測するだけだ。

 架空の話を作り上げるために想像力がいるというなら、小説なぞいらない。そして、ひとり被告人の彼がこの事故の原因を作ったとばかりは言えない。周りに存在する複数の人々、親族や医療関係者や友人などが、昔気質で意地っ張りな性格で少々説得するには難があるだろうが何らかの方法で自由の効かなくなった足で運転することを防ぎ、あれだけの死傷者を出さずに済んだかも知れない。そうはならなかったけれど、防ぐ努力は少なくとも出来たはずだ。

 松永さんは「誰が悪いんですか?」と聞いた。本人は「わからない」と答えている。この答えに松永さんは異論を唱える。

 時速96キロで加速したことになっているが、「アクセルを踏んでもいないのにエンジンが異常に高速回転し、加速した」「わたしの過失はない」と主張する。多くの目撃情報でもあれだけの速度で暴走したのだから車の方を誰もが注視したし、ブレーキランプは点いていなかったと、はっきり証言されている。ヒューマン・エラーではないと主張した彼が、それまでずっと愛車として「自己の乗用に供していた」プリウスが主たる原因だというからには根拠があるのだろうと誰しもが思った。もちろん警察も事故発生が運転する乗用車に起因する疑いがあれば、メーカーと共同で徹底的に「検証」を行う。科学的に技術的な問題となる要因を払拭しなければならないからだ。警察は事故車そのものは事故を誘発する技術的欠陥はないと結論づけている。車のせいにするのは本人だけではなく、弁護士も介入するから被告人側は「有罪を受けない」ためにする論拠としたかったのだろうと推測できる。その辺は、被害者が多数に上る今回の事件では被害者感情を逆撫でする効果しか出さないことも事実である。

 松永さんは敢えて言う。「心を鬼にして今日は言います。あなたに刑務所に入って欲しい。入る覚悟はありますか?」と問うた時に「あります」と答えた。さらに松永さんは「もし有罪になったら控訴しますか?」との問いには「なるべく控訴しないようにしたいと思う」と答えたものの、同じ質問を弁護士がすると「わかりません」と変遷している。

補追;2021年8月10日 松永さんは呼びかけている。「もう無益な争いは止めませんか?」と。

遺族(被害者)の悲痛な叫び声

補追;2021年8月28日 松永さん「一審で終わりにしませんか?」

Yahoo!ニュース 池袋暴走についての9月2日判決について

飯塚被告に実刑判決(東京地裁)2021年9月2日

私はこの判決でおかしいと感じるのは、「ブレーキを踏むはずをアクセルを踏んだ」という又もやブレーキとアクセルの踏み間違い(そんなものは通常有り得ないはず)を認定したことです。もしそれを認定するなら、科学的な論拠が欲しい。どちらかと言えば、「彼の足の運動能力が著しく低下したことでアクセルを踏み続けていた」が正解だと思われる。

飯塚被告、控訴へ 2021年9月6日 

法廷闘争に入ったということであるけれど、彼には、自分自身を認め続けていく人間の性(さが)というものを感じてしまうし、終着点がまだ見えない状況に被害者の方達の苛立ちも感じてしまう。


結局この裁判は、被告人が控訴しないことで結審した。(9月17日)

(産経Digitalより)



2021年5月28日金曜日

揺れる想い

ZARD 

揺れる想い体じゅう感じて
君と歩き続けたい in your dream

夏が忍び足で 近づくよ
きらめく波が 砂浜潤して
こだわってた周囲(まわり)を すべて捨てて
今 あなたに決めたの


今まで何度も聴いた曲 youtube で流れてた...ZARD 揺れる想い

 
今日my bikeで白川池に行ってきた。ほとんどの車が大阪のナンバーやった。ずら〜って
並んで竿を垂れているフナ釣りの光景。どこかで釣りをしたいと思う気持ちもあるけど、
梅雨の中休み...。石のベンチに寝転んでお前を見ている自分がいる。それで満足。



2021年4月18日日曜日

ソフィーの夢 おれの夢

  ソフィー おれは、お前がたとえお婆さんになってしまったとしても、ずっとここで待ってるよ。「あ〜ごめんごめん探したよ」とハウルは言ったんだ。おれも、お前を探してたよ ずっと。12月1日の朝見つかったような気がしてたんだけどね......。魔女のせいなのかなあ。会えそうだと思っても、またどこかに行ってしまうなんて。

追記;2022年12月8日の夜、また見つかりそうやったんやけど、見失った!

 私はソフィー。きっと会いにいくから。未来のあの場所で待ってて!荒地の魔女もいない、戦争もない穏やかな時が巡ってきたら、きっとハウルと会えるから。

 コロナ禍で人々はマスクをしても、どこか自由を求めてる。今は少し窮屈でもさ、ソフィーとハウルが自由にのびのびと空を駆け巡ったような日がきっとやってくるさ。その時は、お前にもちゃんと会える気がするんだ。その日を待って、こんな曲でも聴きながら今日も休むとするかな.......。ハウルの動く城 Soprano Sax

Merry Go Round of Life - Howl's Moving Castle

ピアノとピアニカでハウルの動く城

芸大出身者によるサクソホーン4重奏団

                                     ※画像は、プリクラ画像byGMOより

                      


2021年4月4日日曜日

お稲荷さん

  久し振り(16年ぶり)で伏見稲荷大社にお詣りして来たよ。驚いたのはねぇ、金曜日だったのに結構観光客が多く(他府県ナンバーの車が駐まってた)その中でも外人の家族連れや友人を連れての旅行客が多かったことかなぁ。いくつもの朱色の鳥居をくぐって山頂まで登ったんは初めてやったかな...。その日は桜が散る春もそろそろ終わる季節で、気温が高く、もう夏日で汗をかいてTシャツ1枚になったほど。山頂を探している女性と下山するまで話しながらは退屈しなかった。でもさ、そばにずっとお前がいるような気がしてたよ。

Instagram伏見稲荷大社de Go!




2021年3月5日金曜日

龍の背中に乗ってあのひとの元へ?

    菅首相が記者団に囲まれ息子のことについて聞かれていた。総理は、「彼は私とは別人格なんですよ」と話したらしい。私は何て表現なんだろうと思っていた、当たり前じゃないか。そしたら最近になって例の東北新社に所属する長男の人となりが公開されたせいか、確かにこりゃ人格同じじゃないわと思った国民も多いことだろう。父親の秘書官時代に総務省とのコネを作ったんだろうことも想像がつくし、別に吹き出した総務省以外の官官接待も総理を脅かしている。前総理も森友学園問題から桜の会問題、黒川検事長の人事問題まですべてcolorが灰色で統一されていて、何一つ解決した印象を国民に抱かせなかったのは感心するが、古今東西トップのモヤモヤ感というのはどの国でも同じだと言うことか.....。

 以前私の昔の後輩が「仇を取って」と言って彼女の言う「小説」なるものを手渡されたことがある。そこには組織の中で仕事をする彼女がパワハラ、セクハラの被害に遭っている実態を彼女なりに綴ったものだった。いつかはそうしたいと思って、もう10年も経ってしまっていた。今回人格の違うもう一人の私が映画のシナリオを描くことになり、何とか彼女の意志を伝えたくてワンシーンを挿入したのだった。人の目に触れるかどうかは、それこそ偶然か時の運にかかっている。その彼女も既に携帯番号を変えてしまっていて市井の人となってしまっている。



 だからもう接点もないけど、こんな歌ならどっかで聴いていて欲しいなあ、なんて思ってしまう。MISIA 最初的夢想「騎在銀龍的背上」 もちろん彼女以外のあの人にも.....。

中島みゆきが歌っているのは、これしかない

2021年2月9日火曜日

初めての旅らしい旅

    高校2年の時に、奈良の大和郡山にある松下電器の暖房機事業部で一夏バイトした時、その職場の人に「バイトもいいけど、旅行に行った方がいいよ」と言われた言葉が何時までも心に残り、大学1年の夏バイトしてお金貯めて北海道旅行に行った分けです。

  北斗星 last run 上野→札幌

 同い年の従兄弟がいて、東京に一緒に行き、そこで幼馴染みの同級生に会いに行ったのか、その辺の記憶は不確かで通り過ぎますが、上野から青森までは「北斗星」という列車だったかなあ(青森の駅で食べた青いリンゴがこれまた美味しかった!)まだ当時は海底トンネルがなく、羊蹄丸という青函連絡船で函館まで行くのですが、ただただイカ釣り船の灯り(漁り火)がまぼろしでも見ているように、美してくてデッキで風を受けながらいつまでもいつまでも旅の良さを味わったものでした。

 その従兄弟(今はこの世にいない)とは函館までで、そこからは一人旅となったのですが、まだ世の中に「生ビール」という代物がない時代で、札幌で飲んだ生ビールがナンジャこれっという旨さ、一緒に食べたほっかほかのじゃがバタ、そして札幌ラーメンを食べて、なんとも言えない美味しさで、しばらく忘れられませんでした。その余韻を身体に感じてそこから列車「オホーツク」に乗り旭川へ。ここで最初にお断りしておくのですが、当時私はカメラを持っていなかったんですよ。現代であれば携帯とかデジカメなどで簡単に自然を写す、食べる前に写すってことも可能ですが、全くそのような思い出の写真というものは残っていません。ただ記憶の中だけなのです。

 網走、美幌、そこから知床の玄関であるウトロへと行き着く。私の人生でどこで食べた料理が美味しかったか尋ねられとしたら、即座に二つ答えるでしょう。一つはウトロで食べたテーブルにいっぱい広がった海の幸です。きっと店主が何か私にお腹いっぱい、関西からわざわざ一人旅して来た貧乏学生に人生の美味しさは何かを覚えさせるためにわざわざいっぱい振る舞ったに違いありません。この世のものとは思えない海の幸の数々でしたから....。もう一つはずっとずっとのちに行くことになるN.Y.にある韓国料理店、知る人ぞ知るGammeeok ガミオクと読みます。その味は半端ないです。きっとノックアウトされると思いますよ!場所は以前より少し移転したようですが、いつかみなさん機会があればぜひ立ち寄って、韓国料理の妙味を堪能して下さい。

 つい脱線してしまいましたが、そこから摩周湖へ行くわけですよ。そこで素泊まり900円の宿があって、その宿にちょうど休みで来ていたんでしょうね、富良野農協の5人組の女の子と意気投合しまして、翌日男1女5の阿寒湖巡りという6人で決めた The optional tour が敢行されたのでした。彼女たちはちゃんとカメラを(おそらくバカチョンというヤツだったのかな?)持っていて、後日ちゃんとみんなで撮った写真を送ってくれましたよ。釧路から函館まで特急で十二時間かかるんですが、揺られる間にその中の一人に手紙を書いてですね、途中停車したわずかの間に駅の人に post in を頼んだ、ということもありました。

 この一週間くらいの思い出いっぱい詰まった旅行の中で歴史的出来事が二つありました。一つは当時ソ連の戦闘機ミグ25(ベレンコ中尉が操縦)が亡命するべく北海道に着陸したという前代未聞の事件というかニュース(1976年9月6日)でした。機体は後に日米共同で解体したはずです。帰りにブルートレインで大阪に帰って来るのですが、大阪に着いた私が見た新聞の大見出しには何が載っていたと思いますか?

        「巨星落つ」

という大見出しでした。その下に掲げた大きな写真は 毛沢東 そのものだったのです。という訳で、自分自身が歴史の中にちょうど身を置いているようなところもありましたが、ただもう見るものなすもの記憶にとどめるのが精一杯の旅行でした。遥か昔の旅の情景です。


        https://twitter.com/astrokomrade/status/935934034059911168?s=21

Randy Bresnik(ランディ・ブレスニク)宇宙飛行士が2017年12月1日に撮影した日本海周辺での漁船の漁り火です。 彼のtwitter情報より。下のリンク先は、漁り火を含めての動画です。

2021年2月7日日曜日

オーマイボス!

 「オー!マイ・ボス!恋は別冊で」(TBS系 TVで放映中)は、今をときめく上白石萌音とキスマイ(Kis-My-Ft2)の玉森裕太が出ているから人気が高い。ネットではやれ韓国の何とかとかアメリカの何とかのパクリだなんて言う声も聞かれるけど、ファンは気にしなくてもいいと思う。主題歌は、YouTubeでupされている。ボス恋の主題歌

 日本のドラマで完璧は期待できないという声も周辺では聞こえているけど、明日終わるNHKの大河ドラマ「麒麟が来る」は、当初すったもんだした割には、以前noteにもう一人の私が書いたとおり完璧に近かった。中でも衣装や音響に携わる方をはじめ舞台裏のスタッフの入れ込みようが凄かったのではないでしょうか?4K録画は保存版としてハードディスクに収めてあります。ところでパクリという話では、あのヒット作である「古畑任三郎」は「刑事コロンボ」を真似ている感じだし、綾瀬はるかの最新ドラマ「天国と地獄〜サイコな二人」は期待感を裏切って男女が入れ替わるという大林宣彦監督の映画「転校生」のシーンをパクった感じ(「君の名は。」もそうかな?)で非常に残念でした。

 最近は、一億総評論家だし、一億総YouTuber(一億総小説家?)の時代だから作るほうもやりにくいかも知れないけどね。ただそんな中でも高畑充希主演の「にじいろカルテ」は見応えあると思う。だから作る製作側が本気になれば、いいものが出来るということかも知れない。あ、評論家みたいになってしまってた(笑)




   もし今お前が思いっ切り駆けて来たら ギュッと抱きとめる
   お前が痛いって言うくらいきつく
   壊れるくらいきつく お前を抱きしめたい...
   そして そっと「お帰り」って言うよ


2021年1月24日日曜日

今、16年の時を超えて

 もう一度会ってみたい お前に、同じ場所で

崩れかけた壁が 何百年の時を超えて

二人を見ていたあの時のように 16年経っても

壁は二人の時を 表と裏に刻み込んでいる

(※この壁は、blog「time capsule」の写真の壁です。)

お前のあの時の笑顔が 今も変わらずにあるとしたら

付近の木々が 季節をたくさん 池に映し出しては

また新しく芽吹いて 二人に力を与えてくれるだろう

次に一緒に訪れるときは ただ微笑んでくれたら それでいい


あんなに嬉しそうな笑顔をあなたに見たことはなかった

今でも時々思い出すことがあるの あの時 私がコピーしていた

そばにいた あなたの顔を 今も時々思い出すの

そして あの時私が あなたに尋ねた一言を

あなたは まだ返してくれていない


私が仕事を解雇される前の昨年3月12日に大阪市平野区のJR新加美駅構内で撮ったポスターは、一度芸能界でほされていた「のん」ちゃんこと能年玲奈がJRで起用されたもの。捨てる神もあれば、拾う神もあるということか...。今では完全に吹っ切れたのか、普段の彼女のように自由に生きている。

ちなみに朝のフジテレビ「めざまし」が小説を募集していたので、もう一人の私がJRを舞台に「おはよう。」という題で描いてみた小説です。


2021年1月16日土曜日

明日世界が終わっても

もしも明日世界が終わっても 会えない日々が続いたとしても 

僕はずっとあなたを想うよ あの日僕にくれたあなたの笑顔が

生きる力と勇気をくれたんだ 星が見えない孤独な夜でも 

あなたがいる ただそれだけで 強くなれる 

Uru の♪「あなたがいることで」の歌詞です。Uru「あなたがいることで」

 今世界はcovid-19の真っ只中にあり、日々良くなるよりは事態が深刻化しているように

すら感じる。アメリカの大統領は敗者として去って行ったが、新型コロナが決定的だった

と言えるようにも思える。人類が試されているその時に、今後日本は、戦略的にはアメリ

カやオーストラリアそしてインドとアジア周辺の海域での防衛活動を行なっていかなくて

はいけないだろう。

 一年前には大阪の今宮戎神社で誰しもマスクなんか付けずに賑わっていたはずが、今年

は違い自粛ムードが広がっている。でも同じ日に、東京で110番の行事に参加した

のんちゃん(元能年玲奈)を見て、少しは癒されたかな......。(彼女のInstagramより)






新中東戦争のゆくえ