2021年2月9日火曜日

初めての旅らしい旅

    高校2年の時に、奈良の大和郡山にある松下電器の暖房機事業部で一夏バイトした時、その職場の人に「バイトもいいけど、旅行に行った方がいいよ」と言われた言葉が何時までも心に残り、大学1年の夏バイトしてお金貯めて北海道旅行に行った分けです。

  北斗星 last run 上野→札幌

 同い年の従兄弟がいて、東京に一緒に行き、そこで幼馴染みの同級生に会いに行ったのか、その辺の記憶は不確かで通り過ぎますが、上野から青森までは「北斗星」という列車だったかなあ(青森の駅で食べた青いリンゴがこれまた美味しかった!)まだ当時は海底トンネルがなく、羊蹄丸という青函連絡船で函館まで行くのですが、ただただイカ釣り船の灯り(漁り火)がまぼろしでも見ているように、美してくてデッキで風を受けながらいつまでもいつまでも旅の良さを味わったものでした。

 その従兄弟(今はこの世にいない)とは函館までで、そこからは一人旅となったのですが、まだ世の中に「生ビール」という代物がない時代で、札幌で飲んだ生ビールがナンジャこれっという旨さ、一緒に食べたほっかほかのじゃがバタ、そして札幌ラーメンを食べて、なんとも言えない美味しさで、しばらく忘れられませんでした。その余韻を身体に感じてそこから列車「オホーツク」に乗り旭川へ。ここで最初にお断りしておくのですが、当時私はカメラを持っていなかったんですよ。現代であれば携帯とかデジカメなどで簡単に自然を写す、食べる前に写すってことも可能ですが、全くそのような思い出の写真というものは残っていません。ただ記憶の中だけなのです。

 網走、美幌、そこから知床の玄関であるウトロへと行き着く。私の人生でどこで食べた料理が美味しかったか尋ねられとしたら、即座に二つ答えるでしょう。一つはウトロで食べたテーブルにいっぱい広がった海の幸です。きっと店主が何か私にお腹いっぱい、関西からわざわざ一人旅して来た貧乏学生に人生の美味しさは何かを覚えさせるためにわざわざいっぱい振る舞ったに違いありません。この世のものとは思えない海の幸の数々でしたから....。もう一つはずっとずっとのちに行くことになるN.Y.にある韓国料理店、知る人ぞ知るGammeeok ガミオクと読みます。その味は半端ないです。きっとノックアウトされると思いますよ!場所は以前より少し移転したようですが、いつかみなさん機会があればぜひ立ち寄って、韓国料理の妙味を堪能して下さい。

 つい脱線してしまいましたが、そこから摩周湖へ行くわけですよ。そこで素泊まり900円の宿があって、その宿にちょうど休みで来ていたんでしょうね、富良野農協の5人組の女の子と意気投合しまして、翌日男1女5の阿寒湖巡りという6人で決めた The optional tour が敢行されたのでした。彼女たちはちゃんとカメラを(おそらくバカチョンというヤツだったのかな?)持っていて、後日ちゃんとみんなで撮った写真を送ってくれましたよ。釧路から函館まで特急で十二時間かかるんですが、揺られる間にその中の一人に手紙を書いてですね、途中停車したわずかの間に駅の人に post in を頼んだ、ということもありました。

 この一週間くらいの思い出いっぱい詰まった旅行の中で歴史的出来事が二つありました。一つは当時ソ連の戦闘機ミグ25(ベレンコ中尉が操縦)が亡命するべく北海道に着陸したという前代未聞の事件というかニュース(1976年9月6日)でした。機体は後に日米共同で解体したはずです。帰りにブルートレインで大阪に帰って来るのですが、大阪に着いた私が見た新聞の大見出しには何が載っていたと思いますか?

        「巨星落つ」

という大見出しでした。その下に掲げた大きな写真は 毛沢東 そのものだったのです。という訳で、自分自身が歴史の中にちょうど身を置いているようなところもありましたが、ただもう見るものなすもの記憶にとどめるのが精一杯の旅行でした。遥か昔の旅の情景です。


        https://twitter.com/astrokomrade/status/935934034059911168?s=21

Randy Bresnik(ランディ・ブレスニク)宇宙飛行士が2017年12月1日に撮影した日本海周辺での漁船の漁り火です。 彼のtwitter情報より。下のリンク先は、漁り火を含めての動画です。

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