昔、落合信彦氏がこのoptionという言葉をよく使っていたと思う。私もその言葉が好きだ。人は生きていく上で、様々な「選択肢」を持ち、悩みながらも自分が選んだ道を突き進んでいくものだ。
東京オリンピック2020で、自転車トラック競技、女子「オムニアム」で銀メダルに輝いた 梶原悠未選手 について少し触れておきたい。小学生の時に金メダリスト北島康介のオリンピックでの活躍を見て自分も五輪で戦える選手になりたいと競泳の道を志し、中学生までには全国大会に出場するほどの選手になっていたが、当時関東大会で全国出場を果たせず一度挫折した苦い経験があった。
高校で母親から勧められたのがきっかけで、自転車での競技を選んだ。以後、想像を超える彼女の「所属しない」ひとりぼっちの戦い(母親がコーチになりフォローしているから実質的には二人三脚)が本格的に始まったのだった。
※私が五輪ではプロを排除したアマチュアの選手が選ばれるべきであると「Quora」という知る人ぞ知るnetの質問コーナーで強調したのには意味がある。和歌山県岩出市の高校生、四十住さくらがスケボーのハーフパイプで金メダルを獲ったのも、地元の人達が金銭面や施設面でバックアップしてきたからに他ならない。(オリンピック種目によりプロアマが混在するのはどう考えてもおかしい。実際にボクシングやバスケではプロは出ないはずだ)。
梶原は筑波大学大学院では統計学を学び、競技者のデータを集めて自分の「最適な走り」が出来るように活かしている。だから彼女は落車しても総合ではメダルを獲得出来たのだろう。今後はいよいよ3年後のパリに向けて金メダルを目標にしたトレーニングを行う(もう行っているかも知れない)はずだ。
彼女の右足は転倒した時にスーツが破れて怪我をして痛々しいが、それでも直ぐに立て直して突き進んで行った強さを誰も忘れないだろう。(写真は、静岡新聞 8月9日付のもの)
もう一人、私がなけなしのサポートをした人物が大阪にいる。PCプログラミング技術はあるのに、それを活かすだけの環境がないからだ。誰も救いの手を差し伸べようとする者もいない。私の息子より少し年長の三十を少し超えた年齢であるが、年齢分のすごい資格を持っている。それにも関わらず、病気が災いしてか彼が挑戦したNTTコミュニケーションズやそういった名だたる企業からは受け入れてもらえず、何度も挫折を経験しても生活保護だけは止めようと、今独立して自らミシンを手にして子供服や女性用の服を自ら拵えてネットで販売をはじめた。
夢を追うことは容易しい。しかし世間に受け入れてもらうことや、他人に認めてもらうのはハードルが高い。というのは、世間でいう尺度というものは一定ではないからだ。本人がやる気を持っていても理解されなかったり、世間の認識との間にずれが生じている。それでも昨日ちっとも評価されなかった物事が、今日はある拍子に人の感動を呼ぶことだって有り得る。時代は少しずつ変化している。去年の1月までは人々はマスクもせずに、ただ普通に過ごし、陽気に公園を散歩したり、ゆったりと通勤していた。暗くなれば居酒屋やカラオケに行き思う存分発散したり、はしゃぎ回っていたことも今は非難の的になってしまう。爆買いと称して日本を観光に訪れた人達は何時の間にかどこかに去ってしまった。ただそうであっても、自らを信じて、自分の実力を分析して、前を向いて戦っている人がいることも私たちは知っている。
様々な選択肢が人には存在する。アスリートならば、ある瞬間からガラッと今までのスタイルを変えてしまうこともあるだろう。卓球選手だった平野早矢香や野球選手だったイチローもそうだった。大谷翔平だってスランプはあったし、イチローに教えを乞い自ら改造した。一度転倒しても、また這い上がって、怪我をもろともせず人は前進していくのだ。前を向いていれば、祝福してくれる人が必ずいる。一つの事をあきらめると言うのじゃなくて、別のことに自分の適するものが変わったとしても、自分自身にしか出来ないことをぎりぎりまで突き止めるということが大切だと思う。その先にはもう光明は見えているから。
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