流れで言えば、ここで「プラザ合意」を取り上げるつもりでいたのですが、世界恐慌に似たような世界の経済現象といえば、このブラック・マンデーがあります。最近ではサブプライム・ローンやCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)が直ぐに浮かぶあの「リーマンショック」があります。まさに「歴史は繰り返す」です。この辺が経済学の面白いところなんでしょうか。つまり門外漢にとって、外から経済事象を見るということが出来るということなんですね。ところで、このブラック・マンデーをなぜ選んだかと言えば、それは私と深く関わっているからなんです。別に証券マンでもない私がどこでどう関わっているか、詳細には言えないにしても、それは日本での当時の世相を見る必要があります。日本ではマネーが株やパチンコなどの娯楽、不動産や絵画などへの投資に流れた時でもありました。先に1980年代の音楽は、という題でお話ししたのですが、天皇陛下が崩御された1989年の平成元年になり、やがてバブルは崩壊してしまうんですが(資本主義国でない彼の国でも似たような事が起きています)、この80年代というのは、日本でもフォークソングが終わりJポップが花咲きましたが、ちょうど昭和56年が1981年です。カセットテープで竹内まりあを聴いていたけど、翌年に赴任して7年目で昇任試験に通り、昭和63年の秋に、ある事件と関わりました。
写真;fu.minkabu.jp より転載
前年のブラック・マンデーに端を発して日本ではそれに絡む事件がいろいろ発生しました。不動産が高騰し、土地を求めて暴力団が暗躍し、彼らと結びつく銀行もありました。住友銀行です。地上げ(底地買い)がまかり通り、住民を金を産む箱から追い出すために彼らが使われたのです。住友が関東に地盤を築きたかったという理由もあります。イトマン事件はまさに銀行と闇の勢力が合体した事件でした。経済事犯の陰には必ず彼らがいる。東京が兜町なら大阪は北浜。北浜の風雲児と呼ばれたコスモ・リサーチ社長の見学和雄は当時43歳だった。彼も経済ヤクザの一人だった。運用資産1千億以上(文春online」2021.3.5 記事)「仕手戦」と呼ばれた株の操作で億のマネーが右へ左へと動く世の中だった。強盗事件の被害額は1千億であるが、見学の所有する一部に過ぎない。また被害を申告するには憚られる類のお金だったのだ。実行犯は暴力団組員で、現場にいない共犯として投資顧問業の男が捕まる。しかし実際には十人もの共犯者がいたのだった。そしてその殆どが大卒者であったのに驚かされた。見学社長は1988年1月彼の運転手と共に殺害される。この年には他にも経済事犯が矢継ぎ早に発生した。コスモポリタン社長の池田保次も同年失踪してから未だ不明であるが、おそらく消されたのだろう。いずれもが繁栄と狂乱の末にアメリカ発で世界に飛び火したブラック・マンデーによって引き起こされた事件と言えなくもない。
そろそろ平成が終わり年も暮れようとしていた12月25日に強盗殺人事件の死刑囚二人の刑が執行された。既にオーム真理教の麻原ほか幹部の死刑が執行されていた(令和になる前に執行するという命題があった)が、私には二人の執行が文字通り平成の終わりを告げる象徴的なこととして印象に残った。末森博は、自ら「投資顧問業」と名乗っていたが、面と会っても強盗殺人を犯した被疑者とはとても思えない男だった。彼だって、もしあの頃にちゃんとした仕事をしていれば人並の幸せな生活を手に入れることが出来たに違いないと思う。一つ歯車が狂ったために、その幸せを手に入れることが出来なかった。当時彼はまだ37歳だった。中学校の先生が強盗殺人を行った(2023年2月24日)が、末森は黙秘している彼とは違って、取調官には全て洗いざらい話すつもりでいた。それがせめてもの被害者への罪滅ぼしであると思っていたからだった。
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