1ユーロ=150円、1ポンド(英)=170円、そして1ドル=136円(4月30日現在)。昨日YouTubeで妙佛DEEP MAXが取り上げていた世界の基軸通貨=ドルからの脱却を世界が模索しているという話があったことから、ここでも取り上げたいと思います。詳細は次の動画で確認をして下さい。
その昔、僕が小学生の時は1ドル=360円という固定相場の時代だった。そのうち180円となった時に誰かが半ドルなんて例えたことがあった。この頃世界は金本位制と呼ばれていた。
ブレトンウッズ体制とは、戦後の国際通貨制度のことで、米ドルを資本主義国家の基軸通貨として、その根底に金1オンス=35ドルと定めたもので、金(為替)本位制は、各国通貨がドルに対して固定したものなので、日本も1ドル=360円という固定相場を行っていた分けです(1971年のニクソン・ショックまで)。この1971年12月に何があったかというと、ワシントンのスミソニアン博物館(行ったことがあるけど、あまりに広大な博物館で飛行機が展示してあったり度肝抜かれてしまう)
に10カ国の蔵相が集まったのです。この時の会合で、日本も1ドル=360円から308円に切り上げられ(相対的にドルの値打ちが下がった)、各国も順次2年後までにこれまでの固定相場を変動制へと移行していくことになったのだ。そして1番最初に書いた対ドル比較を円で例えれば、1人民元=約20円で、ロシアの1ルーブルは2円弱でしかない。
元々貨幣は世界中で商慣習の必要から生まれ、日本でも奈良時代には鋳造技術を大陸から取り入れてもいる。8〜10世紀には宋の貨幣を輸入したり、或いは禁止したりしつつ鎌倉幕府も貨幣経済を認め、金座・銀座があった江戸幕府に継承され、商業が盛んに行われると手形が発行されるようにもなった。金という鉱物は、銅などとは違いお金に変えたら価値がある物だったんですね。
歴史的には1816年イギリスが1ポンドの貨幣(金貨)を鋳造したのだけれど、この金貨と同額の紙幣が発行され、また一定量の「金」と交換できるということになった。これが金本位制の始まりだったのだ。つまり植民地を世界に拡大し貿易国としてのイギリスが、金に裏打ちされた英国ポンドという貨幣で決済したことが世界でこの制度(金に基づいた貨幣経済)が構築された最初だったのです。日本の金本位制は明治に入ってからだった。何とかの埋蔵金なんて言い方が存在するけど、実はまだまだ世の中には認知されていない不思議なことが存在するらしいんだけどその話は後に譲ることに。
※「金属地金の裏づけのない、もしくは裏づけが不十分である通貨を経済に導入することによる経済学的な帰結を考察することは、最も重要な研究課題の1つである。」(「教養としての経済学」より、齊藤 誠編)
日本はアメリカに対してよく貿易黒字といって攻撃の的になっていた時代があったけど、ここでちょっと難しい話をすると、そういう時には貿易赤字のアメリカは貿易黒字の日本に対し債務分として金(Gold) を輸送する必要があったんです。もし日本が黒字に転じたことで金の保有が増大するのでインフレという現象が起きるとすれば、インフレを抑制しなくちゃいけないから、「不胎化介入」ということが行われるのです。通貨の量を為替介入することで輸出品の価格を維持し競争力を強化しようとするのです。現代は金本位制ではなくても「不胎化政策」は日本の政府も行っており、各国でも行われているんです。結局米ドルが世界の基軸という足枷が招いたことなのかも知れない。まさに金利引き上げの末アメリカの銀行が次々潰れている昨今、ヨーロッパでもクレディ・スイスが破産し「AT1債」が紙クズになってしまったなんて話が拡散されており、世界のマネーから目を離すことができない時代だというのも事実のようです。
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