被疑者・被告人は、刑事裁判において有罪が確定するまでは、「罪を犯していない」人として扱わなければならないという原則を「推定無罪」と呼ぶ。
2019年6月16日午前5時38分。吹田警察署千里山交番前で警察官を刃物で刺して拳銃を奪った強盗殺人未遂の罪で、当時33歳の男について一審の大阪地裁は懲役12年の刑を言い渡したが、今年3月20日大阪高裁はそれを破棄して、36歳となった被告人に無罪を言い渡した。事件当時被疑者の父親が関西テレビの重役であったことから逮捕の翌日被害者に対して謝罪のコメントを出している。高裁の判決理由は、被告人は「重い統合失調症で犯行当時心身喪失状態にあった」として刑事責任を問えないと判断したのだとされた。検察は上告を断念している。
犯人は、まず「空き巣に入られました」と虚偽の通報を行い、指令により同交番の2名の警察官が現場に赴き、26歳の古瀬巡査は少し遅れて現場に向かおうとしていたが、手薄になった交番を狙って交番前でバイクに跨って出発しようとした巡査に犯人は「おい」と呼び止め、即座に所携のナイフで腕、胸など7カ所を刺して転倒させ、それでも所期の目的である「拳銃を奪う」ために、倒れた巡査を刺し続けて拳銃を奪い逃走した。非常に計画的な犯行であった。当初大阪府警は事の重大さ(警察官が殺害されようとしたことと既に拳銃を奪われていること)に鑑み、これまで発令されたことがない府下全域において「特別配備」(全体配備と呼ぶ)を敷き、警察官を全員体制で動員し犯人の補足に努めている。その後古瀬巡査は、意識不明の重体で病院に運ばれているが一命は取り留めた。
犯人はといえば、前日には沖縄をゴルフをするために旅行し出会い系で知り合った女性と有償の性的交友を行なっている。もし被害者の巡査が、肺の一部を摘出するほどの手術の過程において死亡してしまったならば、どうなっていただろうか?それでも裁判は被告人の生命を一番に守ることを重視しただろうか?巡査は数分の時間で運悪く被害に遭ってしまったが、被告人に対しては山上容疑者と同じく精神鑑定のため鑑定留置(3ヶ月)の措置が取られている。
似たような事件は次々に起きている。遡ること1976年10月18日午前2時20分頃警視庁管内の東村山警察署の八坂派出所で事件は起きた。少し酔った風情の男が派出所前にいたので当直勤務中の55歳の巡査部長の男性が声をかけたが、男の目的は、警察官を殺して警察手帳と拳銃を奪って強盗を行うことであり、職質の際に所持品検査をされることを嫌がり、咄嗟に「今不審なアベックを見たんです」と虚偽申告をし誘き出しを行なった。現場に着くと、すでに用意していた金属製の棒で殴打し格闘の末警官の胸を突き刺し、「拳銃と警察手帳」を強取しようとしたが、警官の悲鳴に近隣住民が気付き男を制止し、犯人は犯行を断念し逮捕されている。警察官は出血多量で即死であった。この事件の最高裁判決は死刑であり、「被疑者の性格に著しい精神病質等があったとしても、精神病には至らず判断能力がある」としている。
これまで警察官が襲われて拳銃を奪われた事件は数多くある。1984年9月4日の午後0時50分頃十二坊派出所から近い京都の船岡山公園で当時派出所に勤務していた鹿野巡査長が「誘き出し」に遭い(本来は二名勤務であったところ1名は昇任試験で不在であった)、かつて同僚であった廣田元巡査部長によりナイフで滅多刺しの上殺害され、奪われた拳銃で背中を一発打たれて死亡。廣田はその銃で大阪の京橋のサラ金業者に押し入り、応対に出た社員の「冗談でしょう」の言葉も虚しく即死させている。京都の事件はあまりに悲惨で可哀想な事件だったので、私が若い頃鹿野巡査長が殺された船岡山公園に赴き花を手向けたことを覚えている。
それから東村山署の事件の16年後の1992年2月14日午前3時20分頃同じく東村山警察署の旭が丘派出所で勤務中の巡査長(当時42歳)の男性が襲われて首や胸等を刺されて殺害されているが、2名勤務の1名は通報事案に出ており、その際に狙われ、拳銃が奪われているが、道案内をしていること等から計画的犯行が伺われた(2007年公訴時効により未解決)。
2018年6月26日深夜の2時10分頃富山県(中央署奥田交番)でも起こっている。46歳の警部補が30ヶ所を刺されて殺害され、奪われた拳銃でその後小学校を警戒中の警備員が犯人に射殺されている。
殺人は裁判員制度の対象事件である。他に強盗致傷、傷害致死、危険運転致死、現住建造物等放火、身代金目的誘拐、保護責任者遺棄致死、覚せい剤取締法違反の8つが対象事件である。裁判員制度はアメリカ陪審員制度に似ている。今の日本の裁判員制度では有罪の判断が、裁判官と合わせて過半数必要とされる。ただ一審で有罪とされたものが、吹田事件のように二審で無罪となることもあるのだ。あまりにも計画的な犯行を無罪とさせたものは、常人が窺い知れないいくつかの見えない要因があるはずである。
「十二人の怒れる男」は、1957年(白黒映画)社会派のシドニー・ルメット監督の映画で、主演はヘンリー・フォンダ。うだるような暑い夏で、ほとんど狭い会議室の中で個性派の俳優が熱弁を振るうというのが見せ場だったが、陪審員に選ばれた男達が殺人犯とされた黒人の若者について議論する。初めに決を取り11人が有罪としたが、「臍曲がり」の男(主演)だけが、それでも議論を尽くそうとみんなに言う。「おいおい、ナイターが見れなくなるぞぉ、なんでこんな馬鹿げた事時間かけてやらなきゃなんないんだよ。こいつバカじゃないのか。有罪に決まってるじゃないか!あんな奴」ところが、一人一人、有罪としていた者が、若者の現場での行動を再現していくにつれて無罪に変わっていくのだった。最初のタイトルの「推定無罪」については、この映画を見れば理解できる。ただいつの世でもそうだけれど、まず被害者ありきではないかと思う。被疑者の人権ばかりが叫ばれるが、被害者の人権が先ではないかと弁護士の先生に言いたくなる。その上で、取り調べの可視化とか、有罪とされるべき証拠の存在を重視されるべき(事実の認定は、証拠による)であろう。
先頃最高裁が、袴田事件について再審開始の決定を下している。公権力の濫用は許されないし、恣意的な逮捕権の運用は控えるべきである。Winny事件のところでも取り上げているが、かつては警察庁長官襲撃(殺人未遂)事件でも、警視庁の逮捕権の乱用と見られる事例があった。最初からオーム事件に結びつけてしまい同じ人間を再逮捕したのだが、2回とも東京地検はそれでも被疑者を不起訴にしている。公判に堪え得ないからであった。捜査を尽くせば別に犯人はいたのだが、警察は真実を見失い時効を迎えてしまった。
4月5日補追;付け加えて言えば、日本は英米と同じくcommon lawにおける「判例主義」に基づいている。戦前まではcivil lawでドイツの大陸法をモデルとしていた。現憲法の下に過去の判例が最優先になり個々の事件が裁かれるのである。よって前例がない事件が起きると、それが判例となり、また前審を覆すような判断がなされれば、新たな判例となるのである。
参考文献;鹿島圭介「警察庁長官を撃った男」
NHKスペシャル「未解決事件 File.7」
原雄一著「宿命 國松警察庁長官を狙撃した男・捜査完結」
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