1980年代ヒットソング ベスト4
大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」 (1984年9月リリース)
この歌には、当時の僕の気持ちがそのまま投影されているような気がする…何か悔しいような、どこかもどかしいような…
大瀧詠一「キミは天然色」(1981年3月リリース)
南佳孝「スローなブギにしてくれ」(1981年1月リリース)
岡村孝子「夢をあきらめないで」(1987年2月リリース)→この曲は、お前が今でもずっと夢をあきらめずにお前らしく前を向いて生きていることを思ってここにあげるな
1980年代に何があったか。大学生の自分は免許を取って、柔道を始め、一人旅をしていた。その頃は、ちょうど歌謡界には松田聖子という歌姫が登場する。それはラジオの番組がきっかけで、呉田軽穂という人が楽曲を書くことで(主に作詞は松本隆で編曲は松任谷正隆が担当)彼女が本格デビューを果たすことになる。作詞も手がけるその人はのちにユーミンとして一世風靡する。僕は相変わらず大学生活でバイトしながら週刊誌のグラビアを見たりしながら将来を夢見ていた。松任谷正隆という人もその時期にそのようなことをしていたようだ。僕がシナリオを描いたり童話を描いたりしていたのもこの時期だった。そして週刊誌では80年代の音楽とは何かを問う論文を募集していた。どうせ通らないけど、当時映画音楽を作曲もしていたギタリストの中林淳正という人の音楽が気に入って、その曲を取り上げて評した。1979年の11月ごろだった。結果は写真のごとく千人以上の応募で2名だけが選ばれた。ただ行けるはずの西海岸が、夢と消え大人になっていくのだけれど、ただあの時の少しの自信が今の自分を形成しているようにも思えるのだ。悔しい気持ちがバネとなって。
※この行けなかった理由を今更ここに挙げるつもりはないけれど、もしかして、何か渡米することで災いが降りかかったのかも知れないと考えることもできる。そして渡米できなかった事実は、後に2005年のN.Y.行きとなって結実する。誰かからThis is New York という童話もらって納得する自分もいた。このように僕の人生は、ずっと先のどこかでやっと実を結ぶ、と言うようなことがあったりする。
話がちょっと飛躍するかも知れないけれど、宇多田ヒカルが登場して(1980年代に生まれ1998年Automaticで衝撃デビュー)、きっとこれまで日本のポップスを牽引してきた小室哲哉は衝撃を受けたのだと思う。それがああいう形で一時姿を消すことになってしまった。安室奈美恵が最後に歌う歌 Finery を作るまでは。昨夜YouTubeで映画「世界の終わりから」の完成舞台挨拶で主演の二人と監督が舞台で気持ちを伝えているのを見た。特に印象的だったのは紀里谷和明監督の話だった。ちょうど2002年に彼は宇多田ヒカルと結婚する。そして5年後に離婚。彼の心の中で2004年から今までの人生を振り返ってとても辛かったことを舞台で打ち明けていた。その気持ちはちょうど自分の年月とぴったり重なっている。だから妙に彼の一言一言に頷いている自分がいた。2004年には肉親(兄)を亡くしてもいる。そしてやっぱりその後の離婚がいちばん彼の人生に影響したと思う。なぜなら手を伸ばせばそこに最愛の人がいたのだから。そしてなぜその人を手放さなくてはいけなかったのかも一人苛まれていたことだろう。僕にとっては三十五という人が離れて行ったのだから...。 明日は彼のその最後と称する映画を見にいくことになっている。
そして昨日(4月12日)夜勤明けの朦朧とした頭もそこそこに、梅田のイーマの以前ブルク7と言ってた映画館(今はT・ジョイ梅田というダサい名前)で紀里谷監督の世界の終わりから、を観た。
最初は確かに黒沢映画を彷彿とさせる騎馬シーンがあったり、いじめを許さないヒロインを守る女性刑事も登場する。タイムカプセルやカセットテープといったアイテムやタイムマシーンといった構想、未来のシーンではUFOとかも出てくるけど、本筋はと言えば、今の世界はもう誰も救いようのないところまで来ているんじゃないのか、というのがテーマなのだろう。連想するのはやはり、紀里谷氏が居住していたニューヨークを舞台にしたマット・デーモン主演の「アジャストメント」だ。「本」の中に人の未来を決める運命が刻印しているみたいな風なところは非常によく似ている。影響受けているのかも知れない。ヒロインも最初は抵抗していたけれど、次第に「運命の力」に押し流されるように従っていく。それは「夢」の中で自分の分身であるはずの幼い少女と出会うことで不思議な力を得て、自分の「運命」を悟っていくのだった。Ajustmentという映画は対照的に主人公が「運命」だとされていくのを「いや違う自分の人生は自分で切り開いていくんだ」という熱い胸に秘めたものを感じられ感動したから何度も見たのだった。そして
ウクライナ侵攻というロシアの一方的な侵略戦争というのであれば、確かにそれはかつてはアメリカの専売特許だった。ベトナム戦争は英仏から米に主力を変えた戦争(ベトナムから言えば民族紛争)だったし、イライラ戦争(イランvsイラク)中東戦争(イスラエルvsパレスティナをはじめとしたアラブ)、アメリカのクエート侵攻と続く湾岸戦争。9.11後のアフガニスタン侵攻とイラクのフセイン打倒。そして今でもイスラエルとパレスティナは毎日のようにミサイル合戦を繰り広げている。(また中国が仲介を申し入れているが…)
かつて広瀬隆氏は「地球のゆくえ」という本で、毎年どこかで戦争が起きているということを語っていた。今もその事実は変わらない。だから紀里谷監督の言いたいことは、人類はもう行き詰まっているのだ、もう後には引けないと解釈できなくもない。現にロシアによるウクライナ東部や南部への攻撃と侵略は収まりそうもない。だからプーチンが死ぬまでどうしても侵略をしないでいることが出来なかったという事実は、逆に言えばそれを傍観者として我々が手をこまねいてそれを許しているのと同じことだ。お前が、「世界中(の人)に幸せを」もたらしたいと思っていたのも理解できるし、実現が容易じゃないからその言葉は今でもそれが色褪せてないのだと思う。映画の最後で問いかけていた。世界の人は滅びる前にどうしたいのかと。作者は世界を救う道として愛を説く。今朝政府が北鮮がミサイルを発射したとJアラートを北海道エリアに発令した。結果は誤報ではないが「正確」な情報を確認できずに終わった。その時頭の中をよぎったのは、ちょうど昨日映画の最後のシーンでミサイルのようなものが尾を引いて次々に投下されているというシーンだった。
もしかしてキムという気狂いの指導者にミサイルの頭に核弾頭というおもちゃを乗せるように仕向けたのも、実はアメリカなのかも知れないのだ。
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