去年のブログで、世の中には「腑に落ちない」事も偶には起きるってことを書いたことがある。冬季オリンピックがすんなり運び、金を取ったとか取れなかったとか一喜一憂する(選手も応援している人も)だけのことと思われていたが、実はそうでもなさそうだ。折角だから、少しだけ触れておきたいと思う。
1️⃣高梨沙羅選手、スーツ規定違反で失格
ノーマルヒルで向かい風が幸した選手と逆に横風に煽られた選手がいたと指摘する人もいるが、混合では名誉挽回したかったはずだ。彼女は人一倍責任感が強い人なのだろう、彼女自身の2月9日付のinstagramには画面が真っ黒になって、その下に謝罪文が書かれていた。オーストリア1名、ノルウェー2名、ドイツではノーマルヒルで銀メダリスト(同じスーツ着用)も、そして日本が槍玉に上げられた。計測した担当者は自身の公平性を主張しているが、どの国の関係者も「茶番だ」とか「考えられない」と困惑を隠せなかった。こんないじめともパワハラとも付かないようなことが国際舞台で実際に起こっている。高梨も同じスーツだったが、いつもと計測方法が違うとも感じていた。それに国際大会ではこれまで失格はなかったし違和感だけが残った。
2️⃣フィギアスケート金メダル候補のドーピング疑惑
これも本来なら16歳以上が検査対象であるし、医師も心臓病に使う薬で15歳の子供が常用することはないというものが、それもロシア国内で三カ月前の昨年12月にワリエワ(ROE)から検出したものと発表し、2月8日陽性と判断し資格停止としたもので、即日選手側が異議申し立てをした結果翌日取り下げられて今後は出場が認められることになったというちょっとややこしい話である。
※ところが、バレンタインデーの翌日2月15日には新事実として、本人が祖父の薬を誤って飲んでしまったと認めたことが報じられた。そうなるとまた話がややこしくなる。これまでの金メダリストも意見は真っ二つに別れ、ザギトワは「彼女を信じている」と手放しで擁護し、韓国のキムヨナは、反ドーピング委員会が反論してもオリンピックの演技を続けられると決定したことについて「ドーピング違反したアスリートは競技できない」と厳しく断罪し、SNSでも賛否両論が巻き起こる事態となった。本人がプーチンとリモート会談するなどしてアピールした報道もあり、益々政治色の強いものになってしまった。
※ところで大会三日目で選手と関係者から142人の新型コロナ感染者が出ていることが明らかになっているが、ロシアの未成年者はドーピングの問題以外にもワクチンが打てない等マスクをしたりしてワクチン以外に感染対策を余儀なくされている現実があることはあまり知られていない。
<2月18日補追>フィギアスケートの女子フリーでアンナ・シェルバコワ(ROC)が逆転金メダルに輝いた。薬物疑惑(複数検出)渦中のカミラ・ワリエワはミスが重なり4位に。金メダリストザギトワやワリエワのコーチであるトゥトベリゼが演技を終えた彼女に「なぜ途中で諦めたの?理由を言って」と詰め寄った。今度は銀メダルを取ったアレクサンドラ・トゥルソワに祝福のハグをしようと左腕を伸ばしたが、当然自分が金メダルと思っていたトルソワは身をよじって避け「嫌よ!みんな知っている。金メダルを持ってないのは私だけ、もう二度と氷の上に乗らない」と厳しい言葉を浴びせて、その場を立ち去った(報知新聞、DIGESTなど)。今回の騒動がどうやら最後の最後まで波乱を呼んだことは事実のようだ。
3️⃣羽生結弦選手の4回転アクセル(4回転半)の演技
この4回転半というのは、そもそも後ろ向きに着氷するからその分が1回転半になるからそう呼ばれているが、なぜ彼はその演技に拘ったのかという疑問が残る人もいるのではないか。これは私見だけれど、彼の中の、もう一人の羽生結弦がいるとして、本来の4回転を飛べば金メダル間違いないだろうし、そうすべきで、無難な選択をしたはずなんだけど、違う羽生が新たな試みを選択したから、そうしたらどうかって囁いていたから、なんて解釈できないか?決勝では着地に失敗して暫定1位が2位に、それから3位に、そしてメダル圏から脱落したのだけれど、トラウマみたいなものもあったように思える。ショートプログラムでは彼の前の選手の演技で氷が削られていて、それが羽生の失敗に繋がったという出来事があった(羽生「氷に嫌われちゃったなぁ」)。中国国内でも彼のファンは日本より凄く、もう映画スター並みである。彼の前に演技をした選手を殺せと誰かが言ったとかで、会場周辺はセキュリティが俄かに強化されたほどだった。控室から出て荒川静香が声をかけた時に彼の中で抑えたものがどっと込み上げて来た感じだった。悩みに悩んだ彼が、決勝で結果を出せなかったから申し訳ないと弁明すると、荒川から、いや演技素晴らしかったよと認められたことでほっとした表情を浮かべていた。実際に2月14日のインタビューでは彼はこう答えている。(サンスポの記事より)
「実は同じフォームなんですよ。9歳のときと。ちょっと大きくなっただけで。だから一緒に跳んだんですよね。何かそれが自分らしいなって思ったし。何より4Aをずっと探していくときに、最終的に技術的にたどり着いたのが、あのときのアクセルだったんですね。で何かずっと壁を登りたいって思っていたんですけど、いろんな方々に手を差し伸べてもらって、いろんなきっかけを作ってもらって、登ってこられたと思っているんですけど、最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身だったなって思って。最後にそいつとそいつの手をとって一緒に登ったなっていう感触があって…」
いつの時代のオリンピックでも、疑惑やトラブル、判定ミスや故意の妨害行為などがあったことを私たちは知っている。今季でも他にも色々うんざりする話が毎日のように流れてきているが、それ以上に感動するシーン(パシュートの予選や女子1000m決勝で五輪新が出たことなど)があったから、ここでは3つだけ取り上げて終わることにしたい。
<2月20日補追>2月20日で北京オリンピックは閉幕した。個人的にはやはり高木姉妹のいくつかのplayに感動した。金メダルを物にした妹、後少しのところで落とした姉の演技にはいつまでも心を動かされてしまった。アスリートにとって、4年に1回のオリンピックは格別のものに違いない。技術だけではなく運も影響する。そんな戦いをどの選手にも感じた。
私の個人的な冬季五輪は何と言っても札幌だった。前回のフィギアではロシアのザギトアが金メダルで多くの日本人も魅了されたし、勝(マサル)という秋田犬も4歳の成犬になっている分けであるが、私が高校3年の冬は特別なものだった。私は、小学中学、そして高校三年間無遅刻無欠勤の皆勤生徒だったのが、ここにきて一変してしまったからだった。それは同級生から「誰でもそんなこと出来る」と言われたことで目覚めたこともあったが、氷の上のジャネット・リン(米国)が札幌を離れて奈良観光に来るという情報を掴んだからだった。私はもう一人の仲の良い友人と二人で計画を実行に移し、授業を抜け出して奈良公園に向かった。もう皆勤賞なんてどうでもよくなっていた。カメラのシャッターとか押したことのない怠学中の私にプレス社の専属カメラマンが私に丁寧に教えてくれた。目の前にあの銅メダリストのジャネット・リン選手がいる!ただただ興奮してその時は夢中になってシャッターを切ったと思う。意外にも日本中を沸かせた「氷上の妖精」はニキビ顔の普通の少女という印象だった。それが私の「取材」人生のスタートだった。
画像は、OurAge(Amana)より
冬季五輪での余談の話
リネハンメルはノルウェーの都市で、1994年の今日(2月12日)冬季五輪の開会式があった。要人が世界中から来るから警察の警備がそこに集中していた。その隙を狙うかのようにその当日オスロ国立美術館に所蔵されているムンクの「叫び」が盗まれている。絵画は、その後ロンドン警視庁の捜査で犯人は逮捕され絵画もほぼ無事に発見されているが。詳細はドキュメンタリー小説が詳しいので参照されたい。
ムンクを追え! 『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日
1968年開催されたグルノーブルはフランスの街で、当時誰しも憧れのジャン=クロード・キリー選手が3つの金メダルを取り(スノーボードがない時代)、選手たちの活躍は、クロード・ルルーシュ監督により「グルノーブルの13日」(邦題は「白い恋人たち」)という題で映画化もされた。フランシス・レイの主題曲は何度聴いても癒される。
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