2021年11月14日日曜日

Jupiter

  昔カラオケか何かで二人で歌ったのが平原綾香の「ジュピター」だった。amazon.musicで車の中で久しぶりに聴いてみた。当時ケータイの着うたが流行っていてこの歌を選んでいたっけ。

♪every day I listen to my heart ひとりじゃない

 深い胸の奥でつながってる

 果てしない時を超えて輝く星が

    出会えた奇跡教えてくれる…..

作詞は、吉元由美という人。ずっと昔の歌という印象なんだけど、今聴いても魂に訴えかけてくるから不思議。

♪夢を失うよりも悲しいことは 自分を信じてあげられないこと

 この歌詞のところを聴くと、札幌の女子中学生がいじめられた挙句先生に気持ちを訴えながらも自死を選んでしまった(「死ぬから画像を消して下さい」と訴えながら2月の北海道の寒い公園で凍死した)という事案を思い出してしまう。女の子の母親は、学校も教育委員会も、人間そのものも信じられなくなってしまったろう。そして

何よりいじめていたはずの「友達」は何を思っているんだろうか?

 いじめやパワハラは時代が変わっても、どんな組織にいても決して無くならない。それは人間がこの世に生まれて生活しはじめ、社会という枠組みの中で成長していく中で生まれる根源的なものだからだ。

 人は生まれも育つ家庭環境も違う。人種(color)も違う。容姿も(男女ということですら選べない)選ぶ服装や言葉遣い、癖や性格、趣味や志向も違う。違っているから天才や秀才が生まれるしノーベル賞だってもらえる日本人も出てくるし、大リーガーの選手にもなれるのだろう。ラッキーな人もいるには違いないが、いじめられる素質というか要素は誰だって持っているのだと思う。ひょっとして私も加害者になる素質も持っているかも知れない。私も中学生時代には陰湿的ではなかったが、いじめられる要素があったのか、確かにいじめられたりはした、一時的にせよ。ただすぐに助っ人が現れて、私をいじめている者を投げ飛ばしていたりしたから幸運だったのだろう。今日注目の中若い日本人のカップルが日本を飛び立ったが、ニューヨークでは今まさにコロナ禍でアジア人に対する差別的な犯罪(暴行や強盗事件)が横行している。私は大学の時に柔道を習って初段を取った。それは、自分に対するより、万が一にもそばにいる女性が犯罪に巻き込まれたら命がけで守らなければならないとの単に若気の正義感からだった。実際に現役の頃は、女性の部下がいた時には自分とその部下を守ることが絶対に必要だった。

 若い頃にはバッシングを受けて強くなったと思うし(それが必要だったかは別にして)、少々のことでツマハジキされても耐えられる自信がある。

 先程の札幌の事例で言うなら、もしも彼女の周りに、いじめを受けているのを知っていたり見ていた人がいたなら、自分のことは度外視して寄り添って「大丈夫だから」と声をかけて欲しかったと思う。そして加害者のいじめている者に対しても、骨身に染みるように諭す人がいて欲しかったと思う。中々そんなにうまいタイミングでそんな人は都合よく現れないものだ。

 それはおそらくそうだろうけど、電通のまつりさんにしても、「勇気を出して」いじめやパワハラを受けている人に寄り添ってくれる人が一人でもいれば何も死ななくてもよかったんじゃないのだろうかと思う。ま、そんな理想論は、と片付けられてしまうのが現代の特徴だけれどね。そりゃ、交差点を曲がるにも30メートル(または3秒)手前で指示器を点けることすらも忘れている人が大半なんだから...。「みんなやってんじゃん」


 切り抜きの記事は、「NHKクローズアップ現代」より 母親の沈痛な心の叫びが感じとれる

教育長辞任(2022.9.23)


♪私たちは誰も ひとりじゃない

  ありのままでずっと 愛されてる


Ayaka Hirahara Jupiter

2021年11月9日火曜日

そして思い出の大台ヶ原へ

 11月6日の土曜日、バイクで大台ヶ原へ向かった。桜井のファミマでジムニーのお父さんに声かけられた。川上の杉の湯ホテルのPでも河内長野の人(病気して一度ハーレーを処分して、リハビリ後今は回復して、再びバイク熱がもたげて、現在大型バイクを物色中で、今日は白の150ccのバイクで「きなりの湯」を目指しているという)と浜松から来た人は串本経由で、次は宇陀の町を目指しているらしい。写っている白の原付の三倍はあるし、荷物満載のバイクで、とても支えきれません!それにしても何とローカルなツーリングなこと!

 休憩してから、山道をひたすら走る。ドライブウェイの途中に、峠の茶屋みたく木造りの休憩所があって、何人か先着がいた。そこから下の方に降りれるようになっているのを発見した。紅葉はもうはじまっている。当時は12月に入ってから思い立って来たので既に閉山していたっけ。パトカーまで見回りに来るというオマケまで付いた….。

 今回は以前林の中にあったピックアップトラックが今も「生存」しているかを見たかった。バイクを止めてから結構林の中を奥へ進んで、やっと見つけた時にはホッとした。ちゃんと生存してくれていて、良かった。荷台には、土もあってか植物も自生していた。その辺でお握り2個で何とかお腹を満たした。



 大台ヶ原の駐車場は満車で、駐車場の入り口から路肩を車がずらっと続いて駐まっていた。バイクも多かったけど、その中に無事とめることが出来た。昔サロンと呼んでいた売店の前の椅子でお湯を沸かし、カップラーメン食べて、珈琲豆挽いて、コッヘルの湯を淹れて飲んだ。本当は歩いて沢まで行ってそれをする予定だったけど、帰りの時間を考えて変更した。大学の時の夏山のバイトをふた夏ここで過ごして、ずっと流れ星を追ったり、みんなで御来光を拝みに日ノ出ヶ岳に登ったりしたっけ。今度はやっぱり二人で来たいと思いながら駐車場を後にした。


久しぶりの當麻寺

    何年ぶりだろう?11月2日に當麻寺をおとづれた。バイパスが通っている分だけ近くなっていた。南の方から進むと、竹内街道。當麻寺交差点。交番。その前と向かいにパトカーが1台ずつ止まっていた。以前は交番の向かいには割と大きな駐車場があってそこに自分の大きなクルマを駐めたっけなぁ….。そして東に進むと駅前の中将姫餅のお店がある。

 少し薄曇りの中で山門に近いところに前と同じように車を納める。御朱印帳を預けて庭園や奥の院、そしてその後ろの池の辺りを巡る。そうしたら、少しずつ思い出す、あの頃のことを。奥の院の前の石畳で何枚か写真撮ったんやっけ。当時と変わらない風景。



お守りを二つ買う。これは誰かへの土産にしよう、今度会ったら渡そうと思う。もう一つは、バイクで通勤しているためのリングになったお守り。中将姫や役行者、法然上人のこととか歴史はちょっとパスして、17年前にタイムスリップして想いを描いた。

新中東戦争のゆくえ