2025年11月18日火曜日

歴史のIF \ 京都に原爆は落とされなかった

    前回にアメリカのワールドシリーズを取り上げた時に、ブライアン・クラース著「偶然はどのようにあなたをつくるか」という本を紹介したが、今回はもう一つのこれも最近出された鈴木裕貴著「落とされなかった原爆」を取り上げる。落とされなかった都市とは、前回の本は京都であることを歴史のイフとして紹介しているが、原爆の投下の目標となったのは京都だけではなく、他にも新潟、横浜、小倉(現在の北九州市)など20ヶ所ほどが選定されたのだった。前出の本ではのちに国防長官になるスチムソンが夫婦で京都に訪れたことが決定的な要因になったといわれた。そして京都には多くの制服組が主張して、スチムソンが大統領の随行員としてドイツのポツダムに行き不在となった後にどさくさの合間に再び京都が投下先として選ばれようとしていた。今回の鈴木氏の著作は、本来なら落とされようとしていた原爆が偶然にも京都から小倉に変更され、そして気象条件から更に長崎へと変更されて、遂には広島に次いで長崎が原爆の被災地になってしまったことが詳細に描かれている。

 敗戦の色が濃くなった時にアメリカの占領政策が図上で話し合われるようになったが、例えば天皇制や文化という日本人に固有のものを尊重して、反感を買うことを避けようとする動きがあった。重要なことは、原爆そのものを日本に投下するしないという議論ではなく、投下するとしたらどこが適当かという議論になっているという点でる。前にブログで岸田元首相が何故在任中に核兵器反対の立場を世界にアピールしなかったのかと述べたが、それはトランプ大統領が自己アピールしてノーベル平和賞をもらう行動とは違い、日本人として、そして広島県出身の政治家としてのアイデンティティーを世界に鮮明にするチャンスだったのに、そのチャ?ンスをみすみす逃した事を取り上げたのだった。トランプ大統領は先頃核実験を容認している。これでは彼は永遠に賞とは無縁だろうと推察する。





 それでは何故小倉がターゲットになったのか?記録作家林えいだいという人物が登場する。彼も小倉が何故投下目標に選ばれたのかという疑念が払拭出来ないでいた。そのうちある人の発言から「風船爆弾」の存在を知らされる。そこに細菌を詰めて投下する計画を軍部が小倉でしていたという事実に疑念の靄が薄れたのだった。
 1954年は私が生まれた年である。その年第五福竜丸がアメリカのビキニ環礁での水爆実験で乗組員が被爆するという事件が起きた。ゴジラが水爆実験の落とし子だとされているが、ゴジラは決して善の象徴ではなく、悪の象徴であることが大事である。今日本各地でまさに繰り広げられている実態は、このゴジラの脅威に似てはいないか?その黒い大きな動物が人間の住む近隣に出没する。そして警察に猟銃の代わりにライフルを貸与して防ごうとしている。悪の象徴としてのゴジラは日本列島を荒らしまくる。人間は慌てふためいて逃げ惑う。そんな映画が一昨年上映されて鬼滅の刃には到底及ばないが興行収入国内で76億円、世界では160億円を超えるヒットとなった。「オッペンハイマー」という映画も同じ年上映されているが、原爆の父と謳われた彼は原爆投下に悩み、のちに水爆実験に協力せず公職を追放されている。その後1960年には来日している。
 アメリカが広島に原子爆弾を落とした飛行機がB29であるが、「エノラ・ゲイ号」はその機種名である。「リトルボーイ」と呼ばれた原子爆弾を積んでいた。その飛行機がワシントンDCにあるスミソニアン博物館に展示されている。展示されているのは、アポロ宇宙船や世界初の友人飛行機のライト兄弟の「ライトフライヤー」、リンドバーグの「スピリッツ・オブ・セントルイス号」などが広大なスペースの中で展示されている。2005年8月にN.Y.に行ったが、少し時間があったからワシントンにビジネスジェットで飛び、三十五から贈られた絵本を胸にそのスミソニアン博物館の中を回ったのだった。飛行機が展示されているなんて日本では到底考えられないが、その空間に度肝を抜かれたことを今更ながら思い出す。

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