2024年1月27日土曜日

桐島聡 逮捕へ!

    そんなニュースが夕方流れた。全国の交番で、美容室や駅など公開の場所で掲示されている彼の指名手配写真は誰もが覚えているんじゃないかなぁ、50年も逃げていたんだから。昔「加藤三郎と太田早苗」二人を捕まえたら二階級特進と言われていた。今回神奈川の病院で末期癌で治療を受けて入院している彼が医師に実名を告げたことにより警察の知るところとなり、警視庁公安部が確認をしたものだった。昨年12月には大坂正明が捕まっている。

 思えば、昭和49年当時「東アジア反日武装戦線」が敢行した一連の企業爆破事件は、日本企業の会社員ならず国民を震撼させたものだった。そんなこんなで世間の厳しいバッシングが全部自分に向けてさえいたように思った。いくつかのテロのうちの一つが彼の手配の犯行である。彼らは本来であれば「御召列車爆破計画」なるものを極秘裏に目論んでいた。しかし決行する前に察知されたことで方針転換し、帝国主義の手先であると断定した企業をターゲットにした。三菱重工業が真っ先に彼らの標的にされた。彼らは「狼グループ」など名乗り分散して活動していたが、桐島は「さそりグループ」の一員だった。それらのテロリストの中には桐島聡の他に大道寺将司や妻の大道寺あや子、佐々木規夫らがいた。これらの企業を狙ったテロ後に日本赤軍が敢行したハイジャックで捕まった仲間を救出するという作戦もあり、彼らは日本赤軍と合流し国内に飽き足らず国外で次々とテロを敢行していく。反帝(帝国主義に反対する)・反スタ(スターリン主義によらないプロレタリア革命)を標榜した中核派(革共同=革命的共産主義者同盟革命的共産主義派)をはじめ、中核派と対抗する革マル派(正確には革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)、そして武闘派である革労協狭間派や日本赤軍(総括と称した集団リンチ事件を起こし浅間山荘立て籠もり事件へと破滅的な行動になってゆく)など多種多様な主義主張により様々なグループに分かれ、企業や警察、その関連施設を狙った時限式発火装置による爆弾テロが行われ脅威となっていた。クルマのトランクから発射する飛翔弾もあった。

 彼がなぜ逮捕されるのか(今はDNA鑑定などで逮捕をするのを待っている)、既に時効を迎えているのではないかという疑問もあるが、先ほど触れたように共犯者の一部が国外に逃亡していることで、刑事訴訟法の規定に基づく「時効が停止」することになったのである。




 時代は変わった、と言えようか。人ころ街頭犯罪(ひったくりや車上狙い)が横行していたものが、今は特殊詐欺に犯行形態が変わっている。小学校時代の担任が60年安保を戦った人であった。逮捕もされている。そしてちょうど高校一年になった1970年(大阪万博が開催された)には70年安保が華やかでそこに何故か部落解放などの主張が加わって、高校の担任がビラ配りなど活動していたのを覚えている。「どんなに自分を追い込んだとしても、考えるのをやめてはいけない」これが担任の先生が私に残した言葉だった。将来の教え子の姿を見越してのことだったのかも知れない。小学校の担任は既に鬼籍に入っている。この間高校時代の同級生から同窓会の開催を呼びかけるハガキが来ていた。一度も参加したことがないから一度行ってもいいかなと思っている。

※ちなみにであるが、当時の若者はこぞって「安保反対」を唱えていた。もしそうであれば米軍の駐留にはもちろん反対であるはずだから、自国の軍隊を持たなければならず、従って韓国のように徴兵制も考えなくてはならない。これまで色々不都合もあることはあったが米軍との協働による軍事演習などがもしなかったならば、中国は台湾を狙い、太平洋を我が物顔で縦横無尽に振る舞うことも憲法上の制約とか云って指を咥えて見ている図が現実となっていたことだろう。

1月28日朝のニュースでは、桐島は危篤状態だと言う。路上で倒れて伏せっていたところを、通りかかりの人が119したのだろうと思う。そして救急で病院に運ばれたらしい。最後は結局人の世話になるんだろうなぁ….。(1.28更新)

 

※そして1月29日朝容態が急変し帰らぬ人となってしまった。それにして偽名を名乗って今日まで30年神奈川県内の工務店で働いていたということは(このひと月の間は身近に知る人も顔を合わせなくなっていたらしい。通院を始めた時期だろう)全く過去と決別した生き方していたからだろうか...?マスコミの取材によれば、「全く本人と気付かなかった」ということであり、容貌が手配写真とは違うと一様に話した。そして本人確認をしていた警視庁公安部の刑事は「警察の敗北だ」と語ったという。(1.29更新)





2024年1月24日水曜日

再び もしも…

    世の中あまりに色んな出来事が次から次に立て続けに起きると、重要な事が何なのかを見逃してしまいやすい。元旦早々大地震が起きたし、翌日も空港での飛行機同士のクラッシュが続き、一月中には東京地検の捜査が自民党の政治パーティに絡む政治資金規正法違反事件で、清和政策研究会をはじめ二階さんの志帥会や岸田首相の属する宏池会が解散を決めた。明日は京アニ事件の青葉被告の初公判が開かれる。彼の生い立ちを聞いてると、どこか安倍元首相暗殺事件の山上被告と被っている気がする。それほど二人は、家庭での環境が悪く、何か八方塞がりのような状況で事件を起こしていることが分かる。そのことは、おそらくアキバ事件や他の事件にもよく似た状況がある。

 見出しの「もしも」は既に過去のブログで書いているとおりだが、元旦の地震でも、たまたま妻の実家に帰省して災難に見舞われた現職の警察官が、一度に3人の子供と妻、妻の母親を亡くして告別式で涙ながらの喪主の挨拶をするのが報じられて多くの人々の涙を誘った。一人でも痛ましいのにあまりにも彼の場合は過酷過ぎた。六本木の死亡事故と比較するのことも出来ないが、世の中には詐欺師がいっぱいいてそんな人は死なせないのかと不平等感が有り過ぎる。それは誰しも思ったことだろう。「もしも、帰省するのが、事案多数で遅れたとしたら…」「もしも夫の彼だけでなく家族で外に出ていれば」それは彼自身もそう悔やんだことだろう。「なぜ、おれだけが生きて、お前たちが、まだいたいけな幼い子供が犠牲にならなくてはいけないんだろう」「なぜおれだけが生きてみんな死んでしまったのか」世の中には腑に落ちない事がいっぱい有り過ぎて、これからどう生きていけばいいのかさえ見失ってしまう事の方が多い。

 京アニ事件の遺族は重い口を開く。(娘を亡くした母)「私は、苦しんで苦しんで死んでほしいって思ってる。ようけ人殺しといてな、なんで自分だけが生き延びなあかんの。おかしいやん。

 大火傷を全身に負った彼の命を救った医師がいる。彼を救ったのは、彼こそ法廷に出て発言していかなければいけないと強く思ったからだった。何度も拘置所の彼を見舞った。そしてその動機を確認したかった。彼はずっと子供の時に父親から虐待に遭っていた。既にDVに悩む母親は父親と離婚し去って行った。青葉被告が職を持った時に父親もタクシードライバーになっていた。そして孤独の中で自死する。彼には唯一アニメの原作を描くという夢があった。京アニの「涼宮ハルヒの憂鬱」が彼の荒んだ心の慰めになっていた。だがその夢さえも既に実現するには遠過ぎた。応募しても採用されなかったからだ。いつ彼の中に破滅的な思考が芽生えたかは知らない。しかし自分の作品を京アニにパクられと信じたことは、放火の動機となっている。今やどの施設もその会社なり店舗が重要であればあるほど「施設警備」を厳重にして「出入チェック」を行うのが常識だ。その常識がこのアニメーション会社にはなかったように思う。それが36人死亡という結果を生じさせた。

 本来なら人を殺すべく武器を作って事件に備えるというようなシチュエーションを人は抱かないはずだ。もっと夢があって、喜びがあって、自由があって、楽しみがあって、好きな人がいて、その人を幸せにしたくて、その人の笑顔が見たくて、自分よりもその人の笑顔に満たされたならそれで満足するはずだったのだ。


           ここはドトールコーヒーショップじゃないですよ!

 仕事を終えて電車で帰宅中いつも夜の8時前頃になればこの近鉄西大寺駅のホームから外の景色が見える。そこで銃声があり一人の政治家が暗殺された。私と同じ年だった。京アニの彼における「もしも」は、山上被告にも同じようにあるはずだ。彼の母親が統一教会に入信せずに、父親、兄が自殺せず、妹が餓死寸前にならずに済めば、もしも彼が自衛隊に入らずに違う仕事をしていたら、もしも先に岡山で事件を敢行していたら..そしたら捕まっていたかも知れない。しかし統一教会という組織がここまで注目されずに、解散命令までは発出されなかったかも知れない。そしてもしも…










新中東戦争のゆくえ