2023年7月15日土曜日

怪物だ〜れだ!

  「怪物」は誰の心の中にも住んでいる。夫を亡くして自営でクリーニング店を営む麦野早織(安藤サクラ)は小学生の息子と一緒に住んでいるが、毎日が格闘である。「お父さんは生まれ変わったら何になるかな?」などと母親に質問する。仲良くもあるが、捉え所がなく母親も困ってしまうことも多い。子供には子供の領域もしくは領分というものが存在する。それを大人は判ってくれない。いつの時代でも。母親は学校の担任教師が息子に体罰を与えていると勝手に思い込む。一人学校に乗り込むが、相手にされない。みんなが手を組んでいる。担任の保利(ほり)先生(永山瑛太)は、口止めされたために余計に誤解が誤解を生み、マスコミ沙汰になるにつれて担任も外される。息子の麦野湊(みなと)は父を失ったという疎外感もあるが、教室の中でも馴染めないでいる。だから本当のことを言わなかったりもするし、自分にもまだ自信が持てないから友達にも辛くあたったりもする。星川依里がみんなからイジメにあっても助けて上げられない不甲斐なさを味わうことにもなる。そのうち何で彼はこんなに教室で爪弾きになっても強いんだろうと思ってしまう。ネットの解説には複数の人がLG BT Qなどをテーマの一つに扱っているが、もっと自然に、素直にこの作品を見ればいいと思う。家庭にも学校にも溶け込めないという二人が秘密の基地に集う。そこで「怪物だ〜れだ」とカードで遊ぶシーンがある。何気ないシーンであるが教室では表現できない二人ならではの得意な表現方法である。嵐になって母と保利先生は必死になって子供を探すが、本人達は意に介さずに自分の領域を形作ることに精一杯だ。湊が友達に教わるヒュンヒュンという音がする手作りの「楽器」や校長から教わるトロンボーンという「楽器」もアイテムの一つである。ここでは韓国映画じゃないから、最後まで「怪物」は登場しない。それは一人一人の心に存在するものだから。そして湊は依里が本当の友達であることに次第に気付いていく。共に自信を持って未来を切り拓いていけるんじゃないかということにも気づく。それは彼の亡きお父さんがそう教えているのかも知れないし、残されたお母さんの愛情の所以なのかも知れない。いつかは誰もがわかってくれるだろう。そう思わせる何かがこのドラマにはある。火災があり、それは放火かも知れないとの疑念も生むし、教師である校長だって犯罪者というより人間としての存在意義が問われるが、映画では犯人を探す事はしていない。ただ火災のシーンが遡って表現されているが、カンカンという消防車の音は現場を経験したものなら分かるがいつも必ず生の音である。緊急執行のサイレンの音を消して表現することでreplayがうまく伝わったと思う。

 昔子供が小学生の時によく黒姫の童話館で童話を読み(私のお気に入りは「泣いた赤鬼」)戸隠にキャンプしていた夏休み、いつも研究課題に何をしようかと考えていた。野尻湖にはナウマンゾウ博物館があり、それを見せて、近くで「関東ローム層」(岩宿遺跡に似た)を土台にした遺跡群が発見されて見学会がありそれに参加したことがある。子供と一緒に帰ってまとめたものが秋に教育委員会の賞を取ったと記憶している。息子が大人になって、二人でカヤの平高原キャンプ場に行ったら、夏は常駐している学者の方がおられ5千円で案内を引受けてくれるオプションに参加した。白樺と湿原と日光キスゲ、そこに生息する虫たち。団体で散策する人達も何故かしばらく先生の話に聞き入る。とにかく先生の博識のある説明が圧巻で写真にまとめるとこりゃ「夏休みの研究課題」になるなと苦笑するくらいの代物だった。その翌年、翌々年には妙高とキャンプしたり、尾瀬の湿原を福島まで歩いたり、たくさん思い出を作ったが、その息子も今年離れて行った。

 他人への無理解やそもそも人を愛することが出来ない心が「怪物」を生んでいくのである。この映画では、衣装デザインには黒澤和子が当たっている。NHK大河ドラマを初め日本の衣装デザインの第一人者である。黒澤明の孫二人が彼女に添っている。そして坂本龍一の音楽が優しく奏でている。彼の遺作となった。脚本は、本年カンヌ映画祭のコンペティション部門で脚本賞(脚本;坂元裕二)を受賞している。この夏休みにも多くの子供の目に触れたら良いと思って帰ってきた。難波は人と暑さで凄い土曜日になっていた。デパ地下に入って涼しくなったけど混雑は同じだった。

 それからさ忘れてたわけではないけど、誕生日おめでとう。年は気にしなくていいからね。


少し変えた。こんくらいにしとこかな…少しふっくらになってしまった。


「あれからずっとそばについているよ。お前が荒地の魔女だとかハウルだとか言うからさ、いつも聞き役だよ」
「いつも何してるの?」
「ここ1年くらい月1で映画見てるよ」
「じゃ私は要らないね。」
「絶対言うと思ったよ、そのセリフ。一人で見終わった時の味気なさってさ、横に誰もいないんだからね、いつも。でもさ、オレ本当は知ってるよ。お前が一人になりたくてうずうずしてるってこと…。ハウルに尋ねてごらん、きっといい答えが見つかるはずさ」
 こういうとお前はすぐ「ふ〜ん?」って答えるけどね。




2023年7月10日月曜日

政治家がらみの事件について

    前回週刊文春の報道ネタについて少し触れたが、そのネタの中に現内閣の中枢にいる人物がいる。彼は内閣総理大臣補佐官として実質的に総理のブレインとして枢要な立場にいるので、どうしても関心を向けられることになるのだが、この種報道が難しいのは昔から捜査機関の上層部から、これからという時に圧力が加わり、道半ばで事件捜査は終結してしまい、報道自体もそこに同じような圧力により萎縮してしまい、まるで何もなかったかのような状態に陥ってしまうのが通例だからである。今回文春デジタルが報じた「内閣官房副長官」である木原誠二氏の妻が、かつての夫であり同居中の深夜に何者かに惨殺され、事件が未解決になっていたものを、警視庁の未解決事件に光を当てる(ドラマにもなった)特捜が事件を洗い直し、新証言から妻を殺人事件の本星(直接手を下さなくても共犯でも同じ)として強制捜査に着手したのを並行して取材したものであった。

 ここまで書けば、似たような事が昔あったなと気付いた方もいるかも知れない。まだ安倍総理が存命で、周りから「忖度」を受け、政治家でなくても側近のような存在であれば「守られた」人物もいた。山口敬之氏はTBSワシントン支局長当時、ニューヨークで記者の見習いとして来ていた伊藤詩織氏と会う。彼女が帰国後山口氏と会食する時に薬物の影響で意識不明に陥り、ホテルで介抱した山口氏から性的暴行を受ける。山口氏は彼女の承諾があったと主張するが、そんなことはないレイプされたと言って警視庁に告訴するのである。事件の捜査は、まず現場であった所轄署が捜査をすることになる。そして当時の強行犯係が捜査して逮捕状を請求し空港で逮捕する直前までに至る。そこから事件はあっけなく萎んでしまう。当時の警視庁刑事部長(警視監)であった中村格氏の指示により捜査はストップしたのである。山口氏の著作である「総理」は出版したタイミングが安倍氏に対する宣伝効果と安倍氏から直接聞かずに出来ない類の内容であり反響が良かった。中村氏は菅前首相にも近く、刑事部長になる前の2012年には菅官房長官の秘書官をしている。中村氏は父親が福岡県警のいわゆる「たたき上げ」であり父親の後ろ姿を見て育ったはずである。警察は「正義感」が強いだけではなく、法に触れるようなことは絶対してはいけないし、もし彼もたたき上げの警察官だったらそれを実行したであろう。既に裁判官が許可した「逮捕状」という許可状は、逮捕出来るまで更新してこそすれ執行を放棄するようなことは絶対してはいけないはずである。なぜなら、被害者から被害届が出され、捜査を尽くして証拠を集め、裁判で有罪に持ち込むだけの時間と労力を注ぎ込んでいるし、何より血税が使われているからである。よって許可状であるからそれを執行するかどうかは裁量による等通用しない。警視庁は汚点を作ったとしか言いようがない。刑事部長としての彼の配下には何百、何千人の刑事がいて、臍(ほぞ)を噛んだ者も一人や二人ではないはずである。中村氏は「実績」が評価され、後に警察庁長官に登り詰めている。父親は喜んだだろうか?しかし奇しくも在任中に元安倍総理が銃撃を受け(何か因縁めいた気がしないでもない)、その責任を取って長官を辞任することになってしまった。「天網恢恢疎にして漏らさず」という諺を、私がまだ若い頃に上司が述べている。「どんなに悪い奴でもな、それを見逃してしまうことになったとしてもな、何時かはそいつはどっかで裁かれることになるんや」と。だから悔しい思いをしてもその者はきっと天から裁かれるのだと。ニューヨーク領事を経験したその上司はまだ若い五十代で亡くなっている。世の中には許してあげたい人と、許してはいけない人がいる。今回の渦中の人を見ていれば、まるで映画「砂の器」やもっと昔に作られた水上勉原作の名作「飢餓海峡」を思い起こさせる。日本は一夫多妻制ではない。しかし彼が住んでいる政界という世界には彼の法律があるようである。

 映画「飢餓海峡」は、戦後間もない時期に発生した台風と火災を利用して犯行を隠蔽した犯人を求めて北海道警の老刑事(伴純三郎)が定年前にギリギリの捜査を行うが果たし得なかった。その後に捜査を担当した若き刑事(高倉健)が、まるで弔い合戦のようにジリジリと犯人の居場所を追い詰めていくのだ。「砂の器」もそうだったが、人間が幸せを求めるがために過去の自分を、上り詰めた今の人生から切り離そうとする事がある。

 官房副長官もその妻もまるで逃亡者のように過去を否定し、過去から逃げるのに必死になっているかのようだ。この事は衆議院選に影響があるだろうか。東大卒、財務省とエリートコースを歩み、一度は落選の憂き目にあったものの(統一教会の集票効果もあったのであろう)返り咲いている。そして今は、総理のブレーンとして盤石の地位に上り詰めている。襲撃事件一年を経て安倍派である清和政策研究会は領袖を失い混迷を深めている。同様に彼の属する宏池会が「財政健全化」を押し通し、清和会の「積極財政」とは一線を画する。内閣支持率も、サミット後に身内の不祥事から「健全化」を失いかけ、マイナンバー不祥事と続き、立て直しに必死である。貿易黒字で、世界からも株価高騰で沸いている日本で今総理には難しい舵取りが任されている。

 


       画像は、That’s Entertainmentエキサイト より。





2023年7月6日木曜日

バラバラ殺人事件に見る世相

    今年7月に入って発生した札幌のホテルでの猟奇殺人事件は世を賑わせている。6月には猿之助の一家心中事件があって、世間の注目を集め、広末の不倫やジャニーズ事務所の性被害事件と合わせてタイミングよく週刊誌が続報を打つことで、TVやYouTubeがこぞって取り上げて、国民皆古畑任三郎的な状況になりつつある。ただ性被害を取り上げたことで著名な作曲家が活動を制限される事態が生まれていることはまた別の問題を孕んでいる。

 ちょっと前に、職場にいる元小学校の先生が「女性セブン」の記事を親にどうしても読ませたくないことから、家族会議と称して睡眠薬を過剰に摂取して(実際にビニール袋を被せて確実に死に至らしめている)一家心中を図ったのではないかと仰るので、先生それ殺人になってしまうやんと答えたことを憶えている。

 今回の札幌の事件もネットの書き込みがマニアックで、謎解きの嗜好家がかなりいるようだ。

・「殺人事件の現場は札幌市中央区南8条西5丁目のラブホテルで「LET’S(レッツススキノ)」202号室である。」札幌に行った人なら知ってるでしょうが、市街地が区画整理されており、東西南北が一目瞭然であるのがすごい。

・「62歳の男性には争った時に起きる防御創がない。ホテルの浴室で刃物で一撃されて、頭部が切断されて持ち出され、同時に所持品も全てなくなっている。(※文春チャンネルによれば、男性は女装していたらしい)」

・「大きなスーツケースを運んだのは、小柄の女性でつばが大きな女優帽を被っていた。」

・「犯行は、ホテルにチェックインした22時50分から翌日(7/2)の2時ころの間である。被害者は、犯行前には16時から22時までディスコのイベント会場にいて相手の女性と合流したものと思われる。」(補追;その後合流したのはホテル近くであることが分かっている)

というように、まるで実況しているかのような事件の詳細を地図や写真などを取り入れて解説しているのである。この「大きなスーツケース」という道具立ては、ヒッチコックの映画「裏窓」Rear Windowを思い起こさせる。友人の刑事ドイルにも愛想尽かされ、骨折して身動きできないカメラマンのジェフ(J・スチュアート)が恋人のリサ(グレース・ケリー)と協力して犯人に挑んでいくのであるが、彼がグリニッジ・ビレッジのアパートの裏窓を通じて日常の何気ない生活の中で見たある不審な男の行動を監視し、男が死体を切断して大きなスーツケースに入れて運んでいると推理するところはドラマのクライマックスに当たる。

 ところで身体をバラバラに切断するというのは、古くは佐川君のパリでの猟奇殺人とか滋賀県の琵琶湖岸で発見されたバラバラ死体遺棄事件が有名であるが、確かに尋常ではない。娘が母親を殺して胴体以外はバラバラにしてゴミにして捨てたという事件も滋賀県で発生している。母親が娘のためをと思って医者にするべく医大進学を強く勧めるが、娘にはその気がない。そして結末として悲惨な殺人事件に至るのである。この事件については、共同通信の女性記者が本にしており、末尾に掲げるので興味がある人はぜひ一読して欲しい。

 多分殺した後に身体をバラバラにする理由は、一室で行われた殺人という犯行を隠すため、移動する必要に迫られてのことだろう。だから車のトランクとかスーツケースが必要になってくる。

<速報>2023年7月24日事件解決;29歳の不登校だった娘と59歳の精神科医の父親が逮捕された。頭部も自宅で発見されているが、まだ死体領得の動機は不明のまま。いちばん謎なのがこの辺だ。よほど卑劣な相手でもない限り、死体を遺棄してもそこまでする必要性がない訳だし、当時女装していた被害者はバイク仲間では人望も厚かったらしいけど、パパ活しないとも限らないし、まだ若いし娘との間で何か金銭的な或いはストーカー的な行為があったのだろうか?

北海道警の緊急記者会見

 今日も真夏日だったけど、明日は「七夕」。夏の大三角が晴れたら見られるところだけど、週末は梅雨の中に埋もれそうな気配。(追記;実際夕方には雨になった)

 

 ぼくが今どこにいるか分からない程途方に暮れていても 君のことだけは

 忘れてないから ずっと思い続けているから そっと ぼくの横に

 座るだけでいいから 安心していいからね そんなに

 たくさんの喜びをくれなくても いいよ

 そばにいるだけでいいんだから

 君の元気な笑顔を見るだけで いいんだからさ


   アイスキューブ・ニュートリノ観測所(南極)の背後に見える天の川とオーロラ(YUYA MAKINO, ICECUBE/NSF)

  (Forbes Japan の記事から)

 ギスギスした世の中ではなくて、誰もが幸せを満喫できるように、明日の七夕には輝いた星々がどこでも見れますように….

  参考文献;齊藤 彩「母という呪縛 娘という牢獄」(講談社刊)

 <追記>7.8 半年が過ぎて改めて思うことは、人々が「われ先に」という志向を変えていないことだ。とにかく自分firstである。昨日も危うく事故になりかけた。前の車が急に指示器を出して左折したので、バイクで直進の私は加速して直進しようとした。そこに対向から右折の車が塞ごうとして、急ブレーキ。バイクは右手の前ブレーキと右足の後ブレーキを踏んで制御する。タイヤが焦げるような臭いを出し、ハンドルは右へ、左へと振りながらやっと停止した。そして当該車両はそのまま右折して何食わぬ顔で進んで行った。人々は「煽り運転」には敏感である。でも自分が原因を作っていることには殆ど無関心である。今日はTVでは大和西大寺駅前を映して今の模様を伝えている。彼が安倍元総理を銃撃して、私たちは初めて統一教会という団体の実相に気付いた。テロが悪いと声高に言うなら、同時にこの宗教団体と政治家が永遠に縁を切らないと片手落ちになる。今だにこの宗教2世問題は解決していない。今日は地元に出来たガーデンハウスに母と草花を見に行った。草花を見るだけで心が落ち着くのは不思議だ。

<補追>2023.7.22  「報道特集」より 政治家の集会に統一教会はなくてはならないの件

https://youtu.be/q5QmGDbY6U4







新中東戦争のゆくえ