ちょうど一年前の去年の1月にロシアのウクライナ侵攻がはじまった。そして一年経っても未だ収束の見通しもない。今年1月4日に濃厚接触者という位置付けでPCR検査を受けた。それまで年末の色んな大掃除(お前にあやかって断捨離に挑戦していた)で、確かに風邪の諸症状があったのは事実だけれど、熱も全くないし、これまでにもコロナの1年前には肺炎的症状だったし、一昨年は地元の医院で車のウィンドー越しに恥ずかしながらPCR検査も受けたけど陰性だったしまさか…そのまさかの坂が時々あるのである。95のお袋共々「陽性」だった。高熱を発した姪にLINEした。「神様が一週間の休息を与えてくれたと思う」と。なぜならもう一人の人格の違うおれが、東京創元社主催のSF短編に応募するつもりでいて〆切が迫っていたからでもある。それがクリアしたのは確かに一つの天の計らいかも知れない。そんな才能などないおれはブログ書くだけで精一杯なんだから。お陰でお前と一緒に見た宮崎駿の「ハウルの動く城」をちゃんと見れたし、本当に良かった。
※お前が何か考えがまとまらないことがあったり、どうしても相談できない事があったりして悩んでいたらこの曲を聴いて、心の中を整理してな。そうしたら少しは心が落ち着いて、今までの自分にはない不思議な力が出てくると思うから….試して。それから以前、井の頭公園の宮崎駿の「ジブリ美術館」に行った時、なぜかずっと紅の豚の原画を見ていたことがあった。彼が飛行機に特別の思い入れがあることはファンなら知っているけど、おれはそこに、「星の王子様」のサン・テグジュペリを連想したのやった。彼の著作は棚に随分所蔵しているけれど、小学5年で親父が買ってくれてた王子様の初版本を今でも大事にしている。童話(絵本)というものが初めて自分の中に定着した第一作やったから。
ちょうどこれを書きながら「紅の豚」で音楽を担当した久石譲のこの曲を聴きながらうっとりしているところ。年末にいつも恒例の親戚一同が会しての席に息子が痛風を理由に集まらなかった。つまり危機回避の才能があるんじゃないかと思う。流石に西大寺駅の近くで生まれただけのことはある。昨日起こったことが今日は違うシチュエーションになっていることが時々ある。安倍さんの暗殺で、当時ブラックボックスで名を馳せた中村格警察庁長官が責任を取って辞任する運びになった因縁話はそんなに経った昔ではない。そして次長の下で警護計画の検証がなされた結果、この4ヶ月で1300件もの事前審査を要したことが発表された。おれの親しい韓国の社長が時々日本に来て一緒に会食するようになったのだけど、暗殺された直後は彼も軍隊の経験があるからか「あれは杜撰だった」と言って譲らなかった。でもそれは無理だとおれが主張した。なぜなら銃撃される直前に女子高校生がハイタッチしている姿を見ても分かるとおり、実際には防げないのだ。防ぐ術まで警察庁の偉いさんが見本を見せなくては検証するに意味がないのではないか。彼女が殺意を持って刺す可能性も排除できないし、そんなことをあげたらそれこそキリがない、そんなことより、「統一教会」という組織を排除すればいい話だから。簡単なことを、何故難しくしてしまうんだろう。警察庁という警察官でない組織がこれからも警備上の陣頭指揮に立つという役割を与えてしまったことが日本警察の悲劇に違いない。中村(当時)長官が菅総理と親しかったとか、菅さんの息子が東北新社で出来が悪かったとか、今の岸田総理の息子が慶應ボーイで局の綺麗な女性に目がなく、総理側近にいて機密情報を漏らしたことにも別におれは特に興味がない。自民党や警察や自衛隊が国の組織の基盤を成した時に生まれたから蔑ろにはしてもいないけどね。
プーチンのような男が世の中にはいるのだから、ゼレンスキーのような人もいるのだ。最近エマニュエル・トッドの「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」を読んでいる。既に第三次世界大戦に突入していると彼は見ている。確かに「米英vsロシア」の戦争の体を成しているいる気がしないでもない。そして簡単に収束しようともしないし、日本近海でも新たな脅威が生まれつつある。何が真実か、またそうでないのかを推し量ることは非常に難しい時代になって来ている。covid-19 は武漢発というのが定説になっているが、昔戦時下の上海で日本と中国が競い合ってウイルスの研究をしていたのが現実になっただけなのかも知れない(上田早夕里「破滅の王」)。ゼロコロナ政策が民衆のパワーで一瞬に覆った彼の地の人々の現状を計ることは難しい。ただ自分が死ぬまでにはどうしてもしたいことがあるし、そうしなければ前世からの約束事があるから投げ出すわけにはいかないから、今年が二人の正念場のような気がしているのは事実だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿