2022年1月18日火曜日

決定的なこと 人生中决定性的事情

     世の中で、決定的なことって一体何だろう?

     例えば、卓球選手の福原愛が、八尾市のミキハウスに入り、世界の舞台で優勝したのが2015年。3月スペイン、6月オーストリア、7月韓国、そして8月チェコのそれぞれ女子オープンで優勝した。そして2016年晴れて台湾選手と結婚。そしてそれも束の間、昨年離婚を発表した。

  最近になって、決定的なことが実は時間が経てばそうでもないと思えることがあったりする、なんて考えてしまう。周りの人も、その時は決定的なこととして、祝福したり、喜んだり、幸せをかみしめたりしたはずなんだ。 それは色褪せてしまうからなんだろうか?いや、当人同士しか知らない色々な事があったはずだ。黒木華主演の当代ドラマ「ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○」じゃないけど、ついつい彼女のその後に気になってしまっている。

 オリンピック選手でなくても、人は小さい頃から夢を育んだり、わずかに足りない幸せに背伸びをして近づこうとしたり、いろんな場面で自分を表現したりする。それは悪いことではなくて自然なことだと思う。そしていつしか時の流れの中で気付くこともあるだろう。ちょっと背伸びし過ぎてしまったかな?思ってた自分と少し違ってきたみたい。

 ひょっとしてお前がいつもそばによくくっ付けていたNICIのマスコットのワンちゃんの方が事情を知っているかもしれないね。でもそうやって時に流されていること自体は悪いことでもないし、ただ色々やってみて、少しずつ分かってきただけなんだろうと思う。

 おれも実はそうだったから。経験して人ははじめて理解するもんだから。あの時は正解だと信じていても、後でやっぱり間違っていたかも…?なんて振り返って調整することは人はよくする。 だけど、もしお前が今の自分に決定的なことなんだからと、意固地に思っていることがあるんだったら、よく考えた方がいい。決定的なことってないんだから。もちろんひとの影響って意外と強いし、周りの中で自分の意見なんて負けてしまうかもしれないくらいだけど。 そして愛の形というものも昔自分が感じていたこととも違ってきているかも知れない。

 これからもまだまだお前は背伸びを、というか自分を表現しようとするはずだ。その時大事なのは、自分を見失わないことだと思う。自分に素直になるということ、それさえできれば大丈夫だと思う。人生をadjust(調整)するのは自分自身なんだからさ。

 2011年に公開されたマット・デーモン主演の映画「アジャストメント」(The Adjustment Bureau)は、色々示唆に富んでいる。人生を司る神のような存在が政治家の彼を苦しめる。でも彼は決して諦めようとしない。この映画に登場するニューヨークの街の中で「扉を開ける」と移動してしまうという幾つかのシーン(場所)がある。MoMaとかヤンキーススタジアムとかセントラルステーションとか、いくつか行った場所だけに引き込まれてしまう。彼は果たして自分の人生を「アジャスト(調整)」できるんだろうか?それともadjustされてしまうんだろうか?


 

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