2025年8月17日日曜日

夏の終わりに

  今日本を取り巻く環境はそんなに良くはない。それは政治家が勝手な論理でこの世界を動かしているからなんだろう。やっと日本人も気付いてきたのかも知れない。ほっておいたらこの日本はとんでもない国になってしまうんじゃないか?そんな疑念が沸々と湧いてきている状況で行われたのが先の参議院選挙だった。今まで信じられてきた事が、ちょっと違ってきて見え始めた。そう見えた時にはもう手遅れだったりもする。羅臼岳で登山していた26歳の会社員の若者がヒグマの犠牲になった。他の登山家も助けることができなかったくらい目の前の光景が凄惨なものだったろう。登山家も自衛手段が必要になってきたといえようか?それよりも北海道知事はどう考えているのだろうか。一人の命が失われてしまったことに。親熊と子熊2頭を駆除して終わりなのか。北海道はおよそ10年以上前から中国に狙われていて、いかに彼らが日本の媚中に纏わり付いて彼らの意図を実現しようと企んでいたか。太陽光パネルを世界遺産の湿原や自然を壊してまで開発して自分達の土地に変えていった。その間に日本の知事や地元議員は指を加えて見ていただけで、その結果自然は失われ、自然の中で人と共存していた熊やキタキツネや貴重な生き物が森を追い払われて、人と家畜が住むような下界に降りてきたのだった。

羅臼岳の山岳事故

 お盆ということで終戦記念の15日に、家で焼肉をした。以前なら庭で炭をいこしてしたのが、余りの暑さに避けて室内にした。


      

     今年2月に発行されたNHKスペシャル取材班によるドキュメンタリーで、一度ここでも取り上げたが、OSO18について詳しく調査追跡している本である。

 「北海道庁の推計に従えば、道内には2022年末時点で1万2175頭のヒグマが生息しているとされる。このヒグマも、そのうちの一頭として、名前を持たないまま森の奥で生き、一生を終えるはずだった。(講談社刊「異形(いぎょう)のヒグマ」より)    

 しかしヒグマも人と同じで群れの中で生き、戦い、愛し、死んでいく。子供がいれば餌を獲って与えなくてはならないし、大自然の脅威の中で生き方を子供に教えていくのは変わらない。あるいは人よりも彼らの方が生き方においてはもっと戦闘的で、必死なのかも知れない。以前OSO18の生き様については触れているのでここでは詳しくは書かないし、本もいくつか出ているのでそちらに譲ることにする。

 ただ何れにしても、今の日本人の置かれている状況は、以前のそれとは少しく異なっている。政治家は自分のことや自分の家族のことは真剣に考えるが日本人についてはまるで外国人であるかのような態度である。その証拠に日本の首相や外相が靖国神社に参拝するのではなく、韓国まで出かけて「顕忠院」に参拝するというのは、もう異人であるとしか言えない所業である。そういうことや、先の北海道のヒグマに絡む問題も含んで今の日本の夏の終わりの風景と捉えなくてはいけないのは悲しいことである。

2025年8月7日木曜日

中国事情2025夏

  中国国内の193もの銀行が登録抹消されているらしい。日本でも昔はバブルがはじけて銀行や証券会社が破綻する時代があったが、実際に預けた預金がおろせないと嘆く国民が隣の国には存在する。加えて年末賞与どころか2年も経つが給与が支払われない実態がある。文句を言おうものなら警察が飛んで来る。だからこそ、一人の中学生女子が集団でいじめにあい暴行されても警察は生ぬるい措置をしてしまう。この事件(江油事件)で大規模なデモが四川省で起きている。既にもう六四だと言う人もいるくらい。事件の背景には、加害女子のバックに共産党幹部の影が見えるからで、組織ぐるみの隠蔽工作がなされているというこれまでずっと続いている内部事情が見え隠れする。(以下は消しても消しても拡散し続けているYouTubeのチャンネルだが、Xでも同じ)最近中国を揶揄する内容をリツイートして自分のXのアカウントが乗っ取られたことがあるが、中国当局(=人民解放軍)がいくら対応しようとも既にもう限界が見えているということなのだ。

河油事件の模様

 このところ本来日本を直撃するような台風が日本を避けてか中国本土に押し寄せ上流のダムを直撃している。ダムに許容出来ない程の雨が溜まれば必ず放流するのが中国式やり方である。あまりにも多くの雨量がダムにあるのを当局が必要以上に警戒しているのかも知れない。以前取り上げたことがあるが、もし揚子江にある世界最大のダムである三峡ダムが決壊したら下流の全ての都市を飲み込んでしまう。そして台湾侵攻が現実のものになれば当然、台湾はミサイルをダムに撃ち込むはずだ。西側は常にダムの水位や中国の不穏な動きを衛星により捉えている。ただこの夏の異常はそのようなことではなしに、もう単に台風による激しい雨量の増加だけでダムの放流を誘い、下流域の商店や通行中の車両を飲み込んだ。そしてその勢いは過去に例のない洪水となり下流域の人々の生活をも飲み込んでしまった。当局はボートで救出している風を装ってはいるが、被害の状況はとんでもなく果てしなく拡大こそすれ治る気配はない。

8月9日補追;時々見ている妙法チャンネルを挙げておこうと思う。TSMCは台湾にある半導体製造のトップ企業であり、日本の熊本にも拡張していることで日本にも馴染みがあるし、色々取り沙汰されている企業でもある。台湾にいる親友の黄君はTSMCを避けて、別のアメリカ企業に就職した。彼は私と似ている点は直観力があるということ。半導体企業は株式では大化けすると言われており、現にアメリカのNVIDIA(エヌビデア)はこの夏時価総額585兆円に達しているが、黄君のKLAC(ケーエルエー)だっていずれ大化けすると予想する。妙法さんが今回取り上げているのはそのTSMCの社員が長年に亘って産業スパイをしていて逮捕されたというもので、詳細は彼のチャンネルを参照されたい。

TSMCの社員が産業スパイで逮捕

2025年8月2日土曜日

真夏の夜の夢

  7月の初めのちょうど七夕の頃に田舎に行く筈が行けなくなり、7月の終わりになってしまった。すると別に意外な展開が待ち受けていた。三連休の初日の7月29日は例年のように2ヶ所のお墓参りを済ませて、途中の五条地区で買った桃を親戚に渡して熊野に出かけた。熊野市には海を見に行くのではなく海産物があり、母が好きなみかんがあるからだ。高菜(芥子菜)の漬物も買える。そしてやっと鬼ヶ城辺りに着いて、トンネル抜けたところで警察や消防車両が停まっているのが気になった。堤防に登ると地元の議員もたまたまいて聞いてみたら、後で入った情報と総合すると女子高生三人が浜に遊びに来ていた。彼らは今夏休みの合宿の最中なのだった。ここは当然大泊海水浴場と違い遊泳禁止になっていて地元の人々は近づかない浜である。理由は波打ち際から少し沖合に出たらもう水深が急に落ち込んでいるのと、よく言われる「離岸流」により沖合に一気に運ばれるからだ。議員は、気さくに話しかけてくれた。先の理由もそうだが、みてたらあの子ら波打ち際で大丈夫かと気を揉んでいたと言う。市の職員時代には船に乗り救出もしたことがあった。他の通りかかった女性たちも同じように思い、一人が流されたと聞いて消防や警察に通報したとのことだった。その後買い物を済ませ辺りを通り掛かると、最初消防艇だけだったのが、救難ヘリや海保の船艇や漁船も捜索に出ていた。警察がドローンを飛ばした時には沖合50メートルで女の子の姿を発見したものの直ぐに見えなくなったという。翌日も捜索が開始されたが、困ったことには、その日カムチャッカ半島での大地震が太平洋岸で大規模な津波をもたらし、津波警報が発令されたことにより捜索も短時間になってしまったという経緯が重なった。また同じ熊野市では津波で避難する際に車を運転中の女性が崖下に落ちて死亡するという事故も発生した。                  

 
熊野市で発生した海難事故直後の模様







 さて昔慣れ親しんだ家はもう面影もないが、ヒグラシだけが変わらずにしきりに鳴いている。お爺ちゃんが発見したツチノコはここだと石段を見てしまう。ヒグラシは昔ならもっとけたたましい合唱で夜通し鳴いていたものだが、今はそれほどでもなく、合唱も規模が小さくなっている。鮎釣りをしようと思ってもタイツとブーツが無いのに気付きあきらめた。親戚の不幸もあって大人しくしたし、全国的にもう津波警報のニュースで一日が終わろうとしていた。ちゃんと地元の神社にはお参りしたよ。三十五のこと。もうすぐまたペルセウス座流星群がやって来るんだっけ。見えるかどうか分かんないけど。自然災害より(このところ全部日本列島を素通りして中国大陸に上陸し人災と呼べる洪水をもたらしている)無駄なソーラーパネルも全部やめて、自然の懐の中で日本人が正しく生きていけますように祈りたい。

2025年7月21日月曜日

文学の荒廃は人の荒廃か?

  この度の芥川賞と直木賞共に「該当者なし」の結果であった事を重鎮の京極夏彦が説明している。それを文学界の凋落と見るべきか、はたまた文学の良心の結果だと見るべきかは読者層によって異なるだろう。既に取り上げた事があるが、「東京同情塔」が芥川賞を受賞したときに文学界が変化したと読み取るべきであろうと考える。よく取り返しのつかない出来事ってあるが、悪魔に魅入られたと思うべきか、誰もそれに気付かないまま時代は進んでいったのではないか。まるでそれは中華維新という得体の知れない中央政界まで進出しようとしている地方政党があって、全国の知事連という謎のコネクションを使い、日本固有の世界遺産や自然の景観を無くしてそこにもう過去の遺物とでも呼べるような太陽光パネルを敷き詰めて恥じない有様に似ていないとも言えない。誰も気が付かないままエコだとか環境に優しいとかの言葉に騙されて、或いは全くそんなことも知らされずに推移したからだった。その結果人々の住処である街中まで熊や鹿や猪、猿が出没して警察まで出動する騒ぎになっている。滑稽と言うのだろうか。決して笑えないのは、既に死者が出ていることだ。OSO18を取り上げるまでもなく、事態は深刻なまでに人々を脅かすまでに至っているのだ。ペロブスカイトという新たな太陽電池の素材で各企業が競って開発を行っている。少なくとも森林を切り拓いて自然を壊すというような作業は存在しない。付け加えるならば、いわゆるAIが小説のどこに使われてどのように文章を運んでいるのか、それは作者の意思とは別に分別できないところまで来ている。だから取り返しがつかない、と言ったのだ。事はそんなに簡単ではない。今やAI使えば(ChatGPTでもいいし、GoogleのGeminiでもいい)YouTubeであろうが、動画、写真、論文などあらゆる分野で利用可能である。



  ところで昨日の7月20日に第27回参議院議員通常選挙が行われ、全国32の一人区(今年は島根・鳥取と高知・徳島が一人区)で争われた結果、与党14勝に対して野党18勝と保革逆転を喫したのだった。改選125議席(比例含む)のうち、自民が39(これまで52)公明8(14)維新7(6)に対し、野党は立憲が変わらず22であるが、参政14(1)国民17(4)と大きく躍進している。トランプ大統領が嫌う日本の首相は既にもう総理の座にしがみついていて、媚中の議員を引き連れて連立を企んでいる。連立を画策する噂は既に出てはいるが、現首相を排除して立民と合流するのか、その他野党で引っ付くのか予想がつかないが、そんなことを知ってか知らずかうちの敷地の中で朝から蝉がけたたましく鳴いてこの夏を謳歌している。政界は、秋の衆議院解散・総選挙を睨んで動いている。自民党が下野すべきだという声も既に自民党内部から起きている。妻が殺人事件の容疑者である御仁である。彼を見れば映画「飢餓海峡」をどうしても思い出してしまうが、そんなことどこ吹く風だ。ただ媚中議員にとってはただ暑いだけでなく居辛い夏となりそうだ。

2025年7月10日木曜日

七月七日晴れ

  昔この題名の映画があって、ドリカムが主題曲を歌いヒットもした。映画の舞台は私の田舎だったけど、その時の主役も随分老けたと自分を棚に上げて思ったことがある。もちろん映画は七夕の天の川に因んでいる。今年の七夕は、令和7年7月7日で、縁起も良いが、それだけではなく天気予報的にも天の川が見えるかも知れない稀有な日に当たっていた。もしその時に予定通り映画の舞台となった田舎に帰ることが出来れば。でもそうはならなかった。得てしてそのような事が起こるのが人生である。事の詳細はここでは書くことが出来ないが、そのお陰でか娘が遠い横浜から孫娘まで連れて一人運転してやってきたし、そういった別のハプニングも引き連れてきた。それから介護の勉強もしなくてはとも思い始めた。関連の本も探して買ってもみた。

 話を戻せば、七夕は、引き裂かれた牽牛と織姫がその日だけは会える事が許された日なのだが、例年曇りか雨で下界ではその様子が見えない事が多い。それだけに皆が会えることを祈って短冊に願いを付けて過ごすのだ。そんなロマンチックな日があってもいいと思う。そう言えば、私のもう一人の人格者は、そんな短編を好んで描いているだった。

           最近読んでいるコミック

 上のコミック水凪トリの「しあわせは食べて寝て待て」の主人公サトコは、膠原病という難しい名前の病気になり、転職して新たな生活を楽しんで送ろうとしている。そして横浜から飛んできた娘も負けずにタフだった。リストラに遭ったと思い込んでいたが、自ら転職して子育てをしている。7月15日になれば、お前もまた一つ歳を重ねる訳だけど、特に悲しまないでいいんだからね。生まれてきてくれて、有難う。三十五を産んでくれて有難うとお母さんにお礼を言うよ。

 それから中国情勢は来月の8月が山場だと指摘する声が多い。つまり習近平体制に異変が起きていて、その異変が遂に来月動くということ。

参考情報は次のYouTubeチャンネル。

妙法さん「習近平引退」

報道1930*TBS NEWS


それから今Netflixでハマっているアニメはこれ。久しぶりにドハマリ!

「光が死んだ夏」予告編

そう言えば、最近やっとセミの声が耳に入ってきた。

三十五沼って知ってる?ある日知らずに深い森の中の沼に彷徨い込んでしもたからさ、そこには底無沼があってな、一度入ったらもう抜け出せん不思議な力で圧倒されて身動き出来んようになってて、でも凄い居心地良いからもうそこから出たくなくなってたわけ。三十五の魅力に圧倒されてしもたんやろうなぁ。来る日も来る日も沼の不思議な力を自分の身体に感じて生きるようになっていた。(7月15日補追)



2025年6月22日日曜日

新中東戦争のゆくえ

    今回のイスラエルによるイランの濃縮ウラン施設ナタンズやウラン関連施設イスファハン、そして研究施設フォルドゥなどにある核関連施設に対する攻撃と複数の科学者らに対する殺害は、イスラエルの諜報機関モサドとアメリカのCIAによる計画的な攻撃であるとされている。ホセイン・サラミ革命防衛軍司令官、モハメド・バゲリイラン軍参謀総長、アリ・シャムカニ(ハメネイ師の顧問)アッバシ・ダバニ核科学者、モハメド・テヘランチ核科学者の5名が殺害されたと公表されている。

 既に2023年10月7日にガザのハマスが大規模な攻撃をイスラエルに仕掛けてより新中東戦争は起きてからそろそろ2年になろうとしているわけだが、パレスティナの活動家にはハマスの他に、レバノンのシーア派武装組織で「神の党」ヒズボラがいる。しかし今年の2月にイスラエルにより最高指導者ナスララ師が殺害されたことで緊張が増していた。

   画像は、日経新聞の記事より

 この地図のようにイランがイスラエルと敵対するハマスやフーシ派、ヒズボラを支援してきたのは事実であり、西側が最も懸念する核関連施設を増強し核武装する直前だったことから、イランへの攻撃はすでに西側の対外工作活動の一貫だった。前回は核関連施設へのサイバー攻撃であったが今度は武力攻撃に変わった。

 報道のようにまたもトランプ大統領が仲介の役名を担い、イランにこれ以上の最悪の被害が出ないようにバンカーバスターを用いて最後通牒を突き付けた形だ。イランの最高指導者ハメネイ師も国外に出たか行方知れずである。

 核保有国は、イランの東隣国のパキスタンをはじめ、イスラエル、インド、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、そして北朝鮮の9カ国と言われているが、パキスタンや北朝鮮は良くてイランはダメだというのはバランスが保てないような気もする。

 日本には核が持ち込まれていた事実はあるが政府は一貫して否定している。非核三原則があるからだが、ただその中で前総理の広島出身の総理が核廃絶の歴史的な発言をすることが出来なかったことが、本人にとってもそうであるが世界の中の日本の立場を表明する絶好の機会を逃したことが残念でならない。保守派は、既に核の存在が世界を支配しているのにナンセンスだと言うかもしれない。ただそうであっても日本は発言することが出来る唯一の被爆国なのだ。

 今日本の中でもフェンタニルの問題が俄かに注目を集めている。トランプ大統領がメキシコとカナダにかけた関税は、このフェンタニルという合成麻薬のせいである。去年一年で7万人以上がこの麻薬の過剰摂取で亡くなったされるが、一説によれば10万人とも言われているし喫緊の課題であったのだ。それが日本という安全な場所を経由して、たとえばメキシコ経由でアメリカに密輸する事もあり得るし、日本は単に経由地だけでなくアヘンと同じで蔓延する危険性すらある。現代の「アヘン戦争」と呼ばれる所以である。新型コロナの災厄が武漢発であったように、今度も武漢から世界中に災厄が広がりはじめているのである。


2025年6月8日日曜日

正義は時代遅れか?

  「世の中は不正義に満ちている。不正義がはびこり、もはや正義について論じることは時代遅れだと言う人がいるかも知れない。」これは、最近買った池本幸生の「不正義の克服」という本の書き出しだが、著者は、インドの作家アマルティア・センの「正義のアイデア」の翻訳者である。訳者は、最近の日本で起きた米騒動にも触れている。誰しもこの「不正義」については一家言持っているかも知れない。

 仮に警察が正義を放棄したらどうなるだろうか?前回の「六四」のところでは、中国という国は「正義」を放棄して久しいし、その弊害とでもいうべきものが世界中で起きている。タイではミャンマーで起きた大地震の余波で中華製ビルディングが倒壊したし(これは実は正義というよりももの作りの品質の問題であるが)、ヨーロッパでも同様の弊害があることを毎日のように耳に、目にするようになっている。ベトナムでは、日本のバイクは高いからと敬遠していたら、すぐ壊れてしまい修理するなら日本製の方がマシだと人々も考えを変えるようになっている。あのホー・チ・ミンでのバイクの洪水を見たことがある人ならイメージ出来ると思うが、とてもじゃ無いが公道を彼らと同じに走れないと思ってしまう。アメリカではどうか?最近、太陽光パネルのどこかに「キル・スイッチ」という通信機器が発見され、もし大停電とかインフラが一時的なトラブルが生じた際にこのキル・スイッチという即時停止できる機器がリモートで作動してしまうだろう。既にこれだけ日本にも都道府県知事の許可の下、不必要なまでに景観を損ねるパネルを貼りめぐらされている光景を見れば、既に同様のスイッチがあってもおかしくないし、それを異常だと思わない「不正義」が日本を支配してしまっていると思うべきではないだろうか?これは品質管理の問題ではない。

      御堂筋グランドビルB1F スターバックスなんば御堂筋グランドビル店

 「侵略者が何の罪もない人たちを虐殺していることに抗議して、世界中でデモに参加する人たちがいる。そんなことをしても無駄だと言うのは侵略者の行為を容認しているのと同じである。それを容認すれば同じようなことが別のところでも起こる。遠く離れた国からであっても抗議の声を上げることは力になる。その声は侵略者たちへの圧力となり、侵略を企んでいる他の独裁者たちを思いとどまらせる力となり、侵略された国の人たちには精神的な支援となる。」と書いている。このことは、ベトナム戦争でアメリカの圧倒的な軍事力の前には無力に思えた北ベトナム政府軍であるが、やがて人々の反戦運動により米軍がサイゴンから引き上げざるを得ない状況を作り上げていき、ホー・チ・ミン率いるベトナム(政府軍と解放民族戦線)の勝利に結びついた歴史を見ても我々は納得するだろう。果たして正義とは何だろう。トランプは自分が誰より正義の統率者を持って任じていることだろう。しかしプーチンも御することはできないし、侵略された側のジェレンスキーの心も理解できてはいないのだろう。正義とは何だろう?鹿児島県警の所管で起きた事柄について、警察庁も県警本部長も容易に片付いたと認識しているのだろう。警視庁はどうだろう?神奈川県警はどうだろうか?殺人事件やレイプ事件でも、被害者サイドに立つよりも被疑者サイドに立って事を運ぶ弁護士のような扱いをしていないだろうか?もはや正義なんて時代遅れのことなんだろうか?

 最近司法界で、被疑者の人権が強くなっている。これまで例えば警察や検察官が意地でも被疑者や被告人を有罪に持っていくのが常套であったが、弱くなっているのか、明らかに有罪であろうというような事件でも不起訴や、捜査が中断してしまっている。あわよくば起訴されたら、それでも裁判で有罪を勝ち取ればいいと被害者は期待するだろうが、外国人が被疑者であればもう期待できないと思うべき世の中になってしまった。かつてのドラマが99.9%が有罪というのは夢のまた夢ということである。
 ところで、昨日はロサンゼルス・ドジャーズとカージナルス戦で起きた出来事は、「適正な審判」という問題だ。大谷が三度も、ボールをストライク判定に取られれば、誰しも選手本人の記録にも影響するし、もちろんチーム全体の勝敗にも影響が出る。これについてはMLBも問題視し複数の審判が数ヶ月の出場停止の処分になった。それが今日はムーキー・ベッツがヒットで一塁を踏む足が速いか、それとも一塁手の足が速いかが争われた。監督がこれについては当然の如く観客もベッツ本人も当然セーフとなるところが審判通りの判定でアウト。もちろん
チャレンジを監督も要求したが判定は覆らなかった。この件も再びMLBが問題視している。審判の判定というものは「信頼の原則」がある。仮に賭け事の対象であったなら、審判の判定で異なってくる。そのことを息子に言えば、「それより審判の処遇に問題があるんじゃね?」という言葉が返ってきた。彼は時々想定外の回答をする。処遇が適正だったなら、誤審はないというのだ。競馬もそうだが、重要な競技では、現代は写真判定で決まると言ってもいい。それでも真偽に首を傾げることも事実あるし、審判の判定に納得いかない選手も多い。逆にアウトをセーフにされたり選手に有利にされた事例もあるはずだ。小学校時代校庭でソフトボールをしていた頃流行った言葉に「審判は公平に」というのがあった。私の父親の名前が孝平だからそれを絡めていう者もいて恥ずかしい思いをしたが、確かに公平な世の中であって欲しいと切に願う。

夏の終わりに