2022年6月14日火曜日

初夏の候いかがお過ごしですか?

    例年のことながら年賀状が来てしまうので返しがどうしても遅くなってしまう。もうそろそろ今年も夏だということで、暑中見舞いを出すことにした。一昨日(6月12日)は夏日の中私は吉野の子供の頃育った場所にいて、日焼けと格闘しながら鮎釣りをしていた。朝には、私が生まれた坂の上のところに植樹もした。蜜柑が2本、柿とキーウイとブルーベリー。叔父は、エンコウ(猿)の餌食になると心配していたが、その通りだと思う。別にいいよ。エンコウは今異常繁殖しているようだ。金沢でもツキノワグマが人々の生活圏内に入って来ていて、子供達が鈴を付けて登校している様子が報じられていた。

 昔は人と動物が共生出来たものが、それも疾うに壊れてしまっている。つまりそれは、ダムを建設したり、今流行りの太陽光発電施設を作ろうと森林を切り開いているからだろう。森には植生というものがあり、野生の動物たちにとっても食の宝庫でもあった。腐葉土が積もった森に雨が降り注ぐと、樹々が幾つも実を付けて動物達を養い、雨は川に注ぎ、川の魚にも栄養を与える。栄養分はプランクトンとなってやがて海に行き着く。海の生き物にとっての豊富な漁場が作られるのだ。

 私が友釣りという釣りを始めたのは26歳の頃。この間亡くなった義兄の誘いによる。吉野の川上地区のどの川にどんな石があり、川の流れがどんな風になっているか特徴を大体つかんでいた。鮎は苔を食んで成長するが、苔が光合成により育った石の周りに縄張りを作る。そこに囮の鮎を泳がせて誘い掛ける仕組みである。ダムがそこに出来ると環境は一変した。そのずっと前に私の村も同じ道を辿っていた。祖父が釣りをしていた頃だ。ダムが川を堰き止め、そこに生息する生き物の生態系を変える。長良川河口堰も同じだった。今は太陽光発電なるものが気候変動を抑え自然にやさしい、人々に希望をもたらすものと信じられている。しかし気づいた時には既に日本中の森という森の木が伐採され、生き物の棲家が追われてしまっていることに人間はずっと後で気付くことになる。何とかしないとしっぺ返しは大抵人間が被ることになるだろう。

 動物園に子供たちを連れてサルやクマを眺めている時に、少しだけそういったことに思いを馳せて欲しい。見せ物になることが動物にとっての本心でもないはずだし…。



 今月の初めコロナで中断していた、現役の五十代の主任との飲み会がやっと実現した。でも非番で案の定事案で遅くなった。おまけに免許証も忘れて取りに戻るとLINEが入る。久しぶりで入ったロフトで見つけた写真のバッグを、最初は撮るだけ見るだけにしていたものを、時間が余って遂に買ってしまう羽目に、これなら似合うだろうな、手提げよりも、なんて思いつき、そこに別の店で見つけたミッフィも買ってくっつける。
 ワンちゃんの方はちょっと思ったんだけど、きっとあれ、おれやなぁ….。

 やがてお腹をすかした私の所に主任が到着し、まずは乾杯、なのだけれど、テーブルには透明のアクリルの衝立があり邪魔になる。自分のビールは自分で注ぐ。でも次第に興に乗ってくる。聞くと大型バイクでツーリングしたり、美味しいものを見つけたら、どんなに遠いところでも出かけて味を試したい派とのこと。いいねぇ、と椎名桔平みたく叫んでみたくなる。

 これはオフレコだけれど、主任と別れた後に南海の昔よく行っていたちょっとした店がイタリアンに変わってしまっていて、パスタを平らげる自分がいたけれど、ちょうどそこに八十代と思しき男性が入ってきて、後でトイレを探し店員が誘導する間にその方の持ち物を見張ってやることに。聞けば中小企業の社長らしく韓国人の社長と待ち合わせをスイスホテルの付近でやる予定なそうで、どうも地理不案内であったことから案内して上げることに。社長とその付き人が現れ、いつの間にか私は彼らの食事会の中にいた。それからその後には当時親しく話しいていたキャッチの若者と小一時間意気投合して過ごしたりとそんな一日があっという間に過ぎていった。


 

 

           

新中東戦争のゆくえ