齋藤ジン氏の「世界秩序が変わるとき」を読んでいる。去年の暮れに立ち読みした時に良い本だなぁと思ったが、2ヶ月したらもう第四刷になっていた。彼女の顔は、昔よく聴いた「雨の物語」のイルカに似ているが、頭脳はかなりのレベルみたいだ。よくテレビのコメンテーターに国際弁護士の誰々とか米ハーバード大とジュリアード音楽院を首席で出た才媛だとかいるが、このような女性が世間で注目を浴びるのは最近になってからかも知れない。昨夕は女子アナに手を出したタレントを組織がかりで擁護して、そういった体制を問題視する社員は全て左遷するフジテレビの体質を改めて指摘し、しばらく広告が付かないことが予想されるが、それだったらいっそのこと総務省も放送事業を剥奪したらどうかと思うが、既に総務省出身者や歴代総理の御息女がフジテレビでいる有様に如何ともし難い現実を見てしまうのだが、才媛なら一刀両断してもらいたいところだ。
アダム・スミスの言葉で「神の見えざる手」The market knows best.というのがある。これもGoogleのAI検索によれば、「市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成される」ことをいう。国家の役割は、個人や企業が自由に追求できるような環境を整えるだけに限られるとし、「自由放任主義」と名付けられていた。しかしそれは、20世紀初頭まで(日本では、日清戦争や日露戦争、1914年には第一次世界大戦が起きた)で、資本家対労働者の対立、格差が広がり、大国の植民地主義が問題になり、取って代わって現れたのが「新自由主義」である。
新自由主義と名付けられているが、現代より100年も前に誕生しているのだ。そこでは、しかし特権階級と政府が結び付いており、そんな格差やら差別のある状況からの脱却のために民主主義社会が定着した事になる。1929年にはご存知のように世界大恐慌が起こり、およそその後の10年間は世界は不況に苦しむ事になる。そんな世相だからこそ、たまには楽しい自由を謳歌したいと思うのは現代と同じ。二刀流で持て囃されている大谷と比較されているのが、当時活躍して熱狂的な支持を受けたベイブ・ルースだった(写真は、ダンロップのCMから、ベーブと翔平)。ただもう100年後には超人が誕生していると、彼も隣の翔平を見たら思うでしょうね。それに二塁から三塁を狙う盗塁は当時はなかったでしょうしね。敬遠されても彼は直ぐに二塁に走ってしまえる。今年は大谷も夏までには登板すると期待されてるから、ちょうど日本の今は、中国が仕掛けた半導体関連で株価が落ち込み、トランプ関税で叩きのめす状況だから、何とかドジャーズ17番のさよならHRでそんな状況を吹き飛ばす効果を狙っているでしょうね。気を紛らすと言えば、昨日(4月3日)台湾の作家高妍のコミック「緑の歌」を読みはじめた。日本の漫画とはどこか違う風を感じるから、書店で見つけてどうしも読みたくなってしまった。緑は麻雀で緑一色って集めたくなる役牌があるけど、リュという主人公の女性の生き様を描いているが、みずみずしいし、ところどころ出てくる日本の音楽を聴きながら夜寝る前に手に取って読んでしまう。
出典;文春新書刊「世界秩序が変わるとき〜新自由主義からのゲームチェンジ」齋藤ジン著
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