第170回芥川賞は、昨年の文藝春秋3月号で発表されている。九段理恵氏の「東京都同情塔」に決まったが、執筆者は、「生成AIが作品中に登場するところで、AIの言葉を使う必然性があった」としている。当代人気の平野啓一郎氏や吉田修一氏はじめ著名な選者が8名もいる中の一人島田雅彦氏は、次のように語っている。「作者は実際に生成AIを創作に活用したそうだが、AIにコマンドを出しさえすれば生成されたテキストは人並みになる。ただ、私が思うに、このディストピア(※この言語は、否定的に描かれたユートピア=理想郷を指すと、グーグルAIは説明する)に生きる当事者たちの狂気や抵抗をもっとアクションとして作品に盛り込んでいたら、より多くの読者のシンパシーを獲得できたはず」と評した。問題は、文学作品にAIを活用した事そのことではないのか。
折しも昨日GoogleのGemini2.5proが発売された。他の生成AIを比べても半端ない結果を叩き出す注目の生成AIと言えるだろう。つまりchatGPTを抑えて登場したdeepseekでさえも飛び越えるシロモノだから。ただ有料版であるから個人ユーザーは少しだけハードルは高いと言えるかも知れないが。そして昨日のニュース(以下のリンクは産経新聞のニュース記事)では、くだんの九段理恵氏が95%生成AIで作った短編小説を博報堂から出したと発表した。芥川賞作品はほんの5%だから、次は逆に作家が5%という皮肉だろうか。既に文学界もAIに凌駕されたと解してよろしいのだろうか?次には直木賞が同じような事になりかねない。最近TBSがシナリオを募集していたが、流石にAIはダメと謳っていた。でも内容を評する選者が果たしてどういう風にAIと人間の創作を見分けるのだろうか?前に既にAIについてはここで扱っている。東京オリンピックでデザインが盗用された事から新たに差し替えられたことはまだ人々の記憶にあるはずだ。AIを活用した時点で既に著作権フリーと判断して良いと思うが、いかがだろうか?(注釈;4月5日著作権フリーと書いたが、実際には他の著作権を大きく侵害する危険性を孕んでいることを付け加えておきたい)
よってデザインや小説、シナリオなどの文学作品をはじめコミックや挙げたらきりがないが、それぞれ著作物は著作権法により適正に守られているものなのだ。AIは人間の創出した領域を踏み越えていくと言っても言い過ぎではない。今後AIを活用した直木賞が現れるのを心待ちにしているものである。
画像は、DOORS DX Media より
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