ゴジラは忘れた頃に人々の前に蘇ってくる。今年(2024年)は、70周年という記念碑的な年だという。だから今回監督(脚本及びVFX)の山崎貴と山崎組が作ったゴジラが封切られるやアメリカやイギリスでも評判を呼び、イギリスの映画館でも(自分も何度か涙を流した)咽び泣きが聞こえて、最後の最後(佐藤直紀編曲のゴジラのテーマ音楽が流れる)頃には皆総立ちstanding ovationになったという。それほど興行成績も過去の映画を塗り替えているこの映画はアカデミー賞にもノミネートされて制作スタッフも大盛り上がりしているのだった。(本年3月10日「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」が視覚効果賞を受賞! Congratulations!
ゴジラが誕生したのは1954年である。アメリカのビキニ環礁での水爆実験により深海にいた生物が突然変異したものと言われているが、他の怪獣とは決定的に違うのはまさにゴジラは、「悪」を体現した存在だからなのだ。昔の映画によくあった勧善懲悪でもないし正義の味方でもない。今回の映画は、特攻隊を忌避した主人公が周りの環境に馴染めず自分を追い込んでいく内面的なものと、彼のまだ「終わっていない戦争」の中で戦っていくのと、もう一人のヒロインの女性との結びつきが次第に退っ引きならなくなって、ハラハラしたり、冷や冷やしたり、笑わせたり、泣かせたりする。
前回もヒットしたが、石原さとみがまだ健在で(ごめんなさい、まだまだ活躍されてました!)ゴジラが日本政府を動かし自衛隊を動かし、学者を動かして人々が右往左往するのは同じ。最近これまた熊の被害があってとうとう政府(環境省)も「指定管理鳥獣」に指定した。今年1月までに熊による被害が全国で218人に上り過去最悪になったのが原因らしい。これについて朝日のモーニングショーで長嶋一茂が「動物との共存」から離れる決定と話し、玉川徹も「そもそも鹿が増え過ぎて熊の好物のドングリとか樹木の果実を食べ尽くしたことにより熊が下界に降りて来ざるを得ない状態になっている」と解説した。その通りである。熊が「悪」の存在になっているのは、人間が植生を奪い生存環境を破壊したからなのであって逆ではない。今後政府や自治体は官学協同でこの問題に対処しないといけないだろう。まさに映画のゴジラを見ていると、非常によく似ていると思ってしまうのは私だけだろうか?
前回だったか、ゴジラの帰巣本能を利用するというのがあった。カラスが明け方出発して夕方には寝床に向かうあの習性のこと。熊は人間を殺すのが本能ではない。それは間違った個体での単なる行動が原因だ。そしてそう仕向けたのも人間だということを私たちは理解しなくてはいけない。
※ 最近私は産経デジタルの購読を中止した。それはadobeのソフトとかに費用がかかるから。だから決して朝日の回し者でもないし、特別靖国神社崇拝者でもないことを断っておきます。
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